ビジネス書大好きMBAホルダーが教える私の学びシェア

本を読んでそこから新しい知識を得たり、学んだりすることが大好き。学びたい、成長したいという意欲のあるビジネスマンの皆さん、一緒に成長しましょう。

プレゼンの目的は、相手を動かすこと! 西脇資哲/新エバンジェリスト養成講座

マイクロソフトエヴァンジェリスト、西脇さんが語るプレゼンの極意。
事細かなパワポTips集というよりは、
考え方みたいな大枠があって、チョロっとパワポのテクニックの話って感じ。
この手の本って読んだことなかったから新鮮。
自分自身、人前で話す大事な機会がいきなり2回も来たので、
資料作る前に読んでみようと思った次第。

新エバンジェリスト養成講座

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プレゼンの目的は、相手を動かすこと!

昔は西脇さん自身、プレゼンというのは相手に伝えること、って言ってたらしい。
伝える力が重要なんだって。
でも、今は違うってのが面白い。

プレゼンテーションの目的は話すことでもなければ、作った資料を見せることでもなければ、伝えることでもありません。相手を動かすことなのです。
P.13

確かに、相手が動くってのが一番大事なことだな。


プチテクニック

プレゼンテーションの数式は、話していること=聞いていること=見ていること
P.42

これが大原則。
だから、色分けとかは重要。
アニメーションは使わない方が良いって断言してた。
マイクロソフトの人なのに(笑)

視点を誘導する、すなわち視覚に訴えることがいかに重要か、わかっていただけたことと思います。
スライドのテクニックの最後として、画像や写真を美しく目立たせるための方法をど紹介しましょう。
まずは、画像に影をつけて陰影をつけましょう。
ドロップシャドウといいます。
図形を指定したら、書式メニューの中に図の効果があります。
そこに影をつける機能が入っています。
P.104

そして、今度これ試してみよう!!


ストーリーテリングのコツ。

この3つが鉄板。
そしてこの鉄板を駆使しているのがテレビ通販ってのは本当におっしゃる通り。
ジャパネットとか、たまに見るとほんと勉強になる。

ホラーストーリー、希少性、商品の魅力-デマンドを植え付ける3つの神器として覚えておいてください。
P.72

新エバンジェリスト養成講座

新エバンジェリスト養成講座

1つのことを極める人の境地は全てに通じる。自省と自制を徹底している稀有な人。 梅原大吾/勝ち続ける意志力

梅原大吾はプロのゲーマー。
ゲームの世界を極めた人。

で、その世界一のプロゲーマーが書いた、
勝ち続けるためのノウハウがこの本。
勝つための、ではなく勝ち続けるためってのがポイント。
1回勝っただけで終わっちゃダメなのよ。
ゴーイング・コンサーンじゃないと。

だからとっても経営に通じるというか、
その考え方は素晴らしいし、共感できる。

とにかくこの人は自分がどうありたいかとそのために何が必要かを冷静に考えてる。
その自省と自制の組み合わせが偉大な結果につながるんだろうな。

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)


目的のための最善な行動

やるべきことをやる、というとてもシンプルな考え方。
甘えとか言い訳とか、いったん自分のことは置いといて、
極力バイアスを排除してロジカルに考えてる。

他人から「ウメハラの良さはここ」と言われると、それをことごとく否定し、指摘されたプレイは極力捨てるようにしてきた。
そもそも勝負の本質は、その人の好みやスタイルとは関係のないところにある。
勝つために最善の行動を探ること。
それこそが重要なのであって、趣味嗜好は瑣末で個人的な願望に過ぎない。
P.56

この自分の良さ、と言われたことまでも否定し続けるってのは驚いた。
確かに勝負の本質はそこではないのかもしれないが、
そこまで自分にストイックになれるってのは目から鱗だったな。

筋力をつけたければ筋力トレーニングを、痩せたければそれなりの運動を、
人よりも70強くなりたかったら人一倍練習しなければいけない。
どれだけつらくても、それ以外に道はないと思う。
心だって、鍛えなければ強くならない。
P.70

こういうストイックさは普通にそう思うだけなんだけど、
でも、世の中この当たり前のことがわかってない人とか、
都合よく目をそらす人が多い。


夢という同調圧力

子供を見ていると、これからどんな同調圧力に巻き込まれていくんだろう、と不安になったりする。
世の中、そういう罠だらけだからなぁ。
まぁ、社会常識は身につけてほしいけど、がんじがらめにはなってほしくない。

とにかく、僕にとっての学校生活は納得いかないことだらけだった。
「夢を持ちましょう」そんな雰囲気にも嫌気がさしていた。
小学生の頃、教師たちがイメージしているのは、たいてい野球選手や学者や宇宙飛行士だった。
このような夢を目指すのは素晴らしいことで、それ以外の夢は認めないと言わんばかりの偏狭な夢の押し売りには辟易した。
夢と言えるのは本当にそれだけなのか。
人とは異なる未来を夢としてはいけないものなのか。
P.170 - P.171

努力とは

まぁ、こんだけやったから結果出るはずってのは、論理的には何の保証もないわけだけど、
それでもそれが安心につながるというか、自信につながるってのはあるよなぁ、と思う。
まぁいつまでもそれだと、努力に満足しちゃう落とし穴があるんだけど。
結果が出ないことを他人のせいにしだしたら終わりだよな、と思う。
全部自分のせいだよ。努力の方向性、質、量、のどっかが間違ってるんだよね、結果が出ないのって。
それを自分で気付きながら修正していけるかどうかなんだと思うのだけど。
努力=量だけだと思ってるとつまづいた時に抜け出せない印象。

当時の僕は、苦しいことを我慢することのみが真の努力だと思っていた。
ガムシャラに時間を割いたり、数をこなしたりするのは、自分を痛めつけているだけだと気づけなかった。
自分のなかに、こうすれば成長するという論理的な裏付けや確証がないにもかかわらず、自分を痛めつけることが一番の薬になると勘違いしていたのだ。
それに、間違った努力は強迫観念をも生んでしまう。
「こんなに頑張っているんだから結果が出るはずだ。
 これだけやって結果が出ないのは世の中がおかしいからだ」
そんな歪んだ思考になってしまう。
P.182 - P.183

最初から質を追い求める事は出来ない気もしていて、
ある程度量が蓄積されてから、質への転換ってイメージだな。

結局、大切なのは質であって量ではないということだ。
その身を削って1日15時間を割いたところで、成長につながる何かしらの発見があるとは限らない。
そもそも、物事の追求にそれだけの時間を割いていると睡眠時間が削られ、満足な食事もできず、体調管理が十分ではなくなってしまう。
すると、いずれ必ずガタがきて、どこかで立ち止まらざるを得なくなる。
健康でなければ良い結果を残すことができないのは、ゲームに限らずスポーツ、仕事、芸術、趣味など、どの世界にも共通することだろう。
常に高いレベルをキープし、コンスタントに結果を出し続けるという観点からすると、物事の追求に自分の限界を超えた時間を割くことは効率が良くないのではないかと思う。
P.186

セルフ・コントロール

自分で自分に義務化させるのってすごくよくわかる。
自分ルールを設定して自分でどこまで守るか、とか超重要。

易きに流れるってのは本当にその通り。

プロとはいえ定期的に試合があるわけではないので、ある程度義務化しておかないと、サボろうと思えばいくらでもサボれてしまうのだ。
1年くらいサボつても、それなりのプレイができる自信もある。
しかし、だからといって怠けることはない。
人間は易きに流れる傾向がある。
だから、継続できるサイクルを作ることは、あるいは意識の変化と同等か、それ以上に大事なことではないかと思っている。
P.201

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

コンテンツビジネス関係者は必読! アニータ・エルバース/ブロックバスター戦略

ブロックバスターというのはコンテンツビジネスにおける途方もない大ヒット作のこと。
ハリウッドの超大作が世界中でメガヒット、みたいなやつ。

で、映画やテレビ業界における近年の戦略として、
製作とプロモーションに途方もない金をかけて、
意図的にそれらの大ヒットを生み出しているって話。
しかもそれがどうやら有効っぽいぞ、と。

コンテンツビジネスは当たるも八卦、当たらぬも八卦の博打っぽいところが
あるビジネスなのだけど、ヒットをコントロールするドライバーとして
桁外れの金をつぎ込むことが理に適っているという話はとても面白い。

ブロックバスター戦略―ハーバードで教えているメガヒットの法則

ブロックバスター戦略―ハーバードで教えているメガヒットの法則


流通コントロールの側面としてのブロックバスター

製作費にいくら突っ込んだか、どんなスターが登場するか、
プロモーションを超大規模に打つこと、
製作側がそこに勝負をかけていることの1つの証明が、
いくら突っ込んでいるか、ってことになる。

作品が面白いか、面白くないか、そんなことよりも
わかりやすい指標なわけだ。

エンターテインメント企業がブロックバスターに大きく賭けることをやめると、チャネルに対して企業が行使していた力が次第に衰えることがわかる。
ほとんどのメディア市場では、小売店からの支持が販売の決め手となる。
映画業界では、公開後の数週間に映画館経営者からあてがわれるスクリーンの数が、映画のそれ以降の収益を予測する最大の手がかりとなる。
映画館経営者は、自館の限りあるリソースに値する作品だという確証が欲しい。
スタジオが並々ならぬ熱意でその映画を後押ししており、大がかりな販売キャンペーンを企画しているという事実が、彼らにとってその何よりの裏づけになる。
P.54 - P.55

それは小売がどの作品を扱うか、という選択において有効であるだけではなく、
消費者の選択も同じ様な心理が働いている。

今や多くのエンターテインメント企業に採用されているブロックバスター重視のマーケティングは、何もないところから生じたわけではなかった。
実は、豊富なエンターテインメント作品の中から、消費者が作品を選択する方法を反映しているのだ。
生来人間は社会的生物なので、一般的にいって、ほかの人だちと同じ本を読んだり、同じテレビ番組を見たり、同じ映画を観たりすることに価値を見出す。
人間は勝者を好むものだ。
P.57

だから、ヒットがヒットを呼ぶ、売れるものがより売れるといった、
一部のヒット作への上位集中が進むんだな。


ブロックバスターだけを作ってるわけじゃない

じゃあ、みんな毎年2、3本に絞って金かけまくってやればいいじゃん、となるのだけど、
そうはなっていない。なぜか?

ここで重要なのは、エンターテインメント企業の幹部がなぜブロックバスターに勝負を賭けるのか、ということではない。
真に問題となるのは、彼らがなぜ低予算の作品を依然としてつくるのか、ということだろう。
P.62

こういう問いの立て方は面白い。

第一に、低予算の投資はテストケースの役割を果たせるからだ。
小さな賭けを妥当な数だけ行えば、メディア制作者が次の大ヒットシリーズを見出す手がかりとなる。
映画業界では、続編がブロックバスターを狙ううえで最も安全な一手とみなされており、低予算の投資は続編を生み出せる映画を発掘するのに役立つのだ。
(中略)
低予算投資のもうひとつの利点は、バンパイア映画からオーディション番組まで、商品の新たな形式を試せる点だ。
範囲を狭めて投資することにより、あるタイプやジャンルが利益をあげることが、自ずと明らかになる場合もある。
たとえば、超低予算のホラー映画などがこれに当てはまるようだ。
また、低予算の賭けは、メディア制作者が″輸送経路を満たす″ためにも役立つ。
結果として作品を販売する企業に、常に満足感を与えられる。
たとえば、新作を市場に絶え間なく送り出す出版社は、書店との関係を維持・構築しやすくなる。
すると、その出版社は書店に対して、大幅な値引きや店舗内の設置場所、その他マーケティング活動でも有利に交渉を進める立場を得られる。
P.62 - P.63

細かなテストマーケティングとしての作品製作、
ヒットの端緒を掴んだらためらうことなく金をつぎ込み、
ブロックバスターを育て上げる。
テストと育成の仕組みがある程度出来上がりつつあるということ。


マーベルのやり方には日本の出版も見習うべきところが多数

プロモーションはスタジオ側にやらせる。
で、コミックスやグッズの売り上げでしっかり稼ぐ。
研究開発に専念している感じ。

日本の出版社も似た様なモデルではあるのだけど、
マーベルほど強い立ち位置で君臨出来ていない。

マーベルの経営幹部は、商品開発費と広告宣伝費を最小限に抑えるビジネスモデルを打ち立てた。
この2つの費用は、ブロックバスターを売り込むとき大きな財政負担となるからだ。
マーベルは自社の費用を最小限に抑えて、キャラクターのライセンス契約先のスタジオに費用を負担してもらうことにした。
その仕組みを紹介しよう。
マーベルは、コミックブック、おもちや、メディアーライセンシング、消費財ライセンシングを担当する各事業部をもつことで、小さなコングロマリットのように機能していた。
キャラクターやストーリーはコミックブック事業部で開発される。
事業部は実質的に、研究開発センター、またはアイデア養成所のような役割を果たしていた。
しかも、きわめて効率の良い養成所だ。
コミック出版は比較的費用がかからず融通が利くので、通常の印刷部数なら、わずか1万ドルから2万ドルしかかからない。
マーベルはパートナー契約を結んでいる映画スタジオに、自社ブランドの広告宣伝を任せていた。
映画スタジオとのライセンス供与契約に、マーベルは映画製作費用およびマーケティング費用は負担しないと明記されていた。
「通常、わが社は3000万ドルから8000万ドルほどを、映画の広告宣伝に費やしてもらった」。
アラッドは2004年、インタビューでそう語った。
「おかげで、評判は野に放った火のようにすごい勢いで広まった。
世界中でマーベルというブランドと個々のキャラクターが取り上げられるようになった」。
その結果としてブランドにもたらされたプラスの影響について、クネオはこう説明した。
「わが社の映画を観た人は、わが社のコミックブックやビデオゲームに興味をもつかもしれないし、マーベルのキャラクターが描かれたTシャツや、ほかの消費財を買うかもしれない」。
P.75

消費者とブロックバスター

社会的影響力は、大衆文化の市場において強い力をもつ。
わたしたちは社会的存在なので、ほかの人が聴く音楽と同じ音楽を聴きたがり、同じ本を読みたがり、同じ映画を観たがるものだ。
端的にいえば、わたしたちは繰り返し人気商品を選んでいるものなのだ。
たとえトップと次席の差がほんのわずかであっても、経済学者が示すように、この傾向は出だし好調な商品に有利に働くことがある。
ある商品が発売最初の週に競合商品を押しのけてトップの座に就けば、職場のおしゃべりでも取り上げられるかもしれず、最終的に商品の売れ行き全体に大きな違いをもたらすかもしれないのだ。
P.98

「わたしたちは社会的存在」ってのはすごく本質をついてる。
それぞれクラスタは違うんだけど、結局仲間内で共有できる何か、を求めてるんだよね。
それが『ハリーポッター』の場合もあれば、『MAD MAX』の人たちもいたりする。

ここで書いてある通り、出だし好調な商品にかなり有利に働く様になってる気がする。
Winner Takes Allはコンテンツ産業でも確実に進行してる。

エンターテンイメント商品は、体験型の商品なのだ。
消費する前に商品の質を確実に評価できないから、消費者がろくに考えもせず目の前に置かれたものを選ぶといっているわけではない。
広く流通させてマーケティングすることが、違いを生み出すといっているのだ。
P.100

そしてこういう商品特性だからこそ、口コミとかが効くわけだよね。
みんなハズしたくない。


スーパースターの呪い

スターが出演することは、それだけで話題性をもたらすのだけど、
スターのギャラの高騰によって採算はあまりよくないって話。
結局スター自らが積み増した利益分を、スター自身が自分のギャラとして取っ払っていく。

2000年代半ば頃、スターとスタジオの主導権争いは映画スタジオの採算性に貢献しないことが、一層はっきりしてきた。2001年から2005年までの配役決定について1200 件以上を調べた著者のリサーチから、一流俳優の主演映画は確かに大きな興行収入をもたらすが、出演料の高騰のせいで、スターがもたらした利益も一掃されるとわかった。
結局スタジオには、それほど有名でない俳優を起用した場合の利益と同じほどしか残らない。
言い換えれば、当のスターたちが、自分がもたらした余剰分から一番多くを得たということだ。
仮にスタジオがジョニー・デップを主演に据えたおかげて2000万ドルの増益となったとしても、デップが同額の報酬を要求したら、スタジオの損益にはまったく貢献しない。
これは数多いリサーチのI件にすぎないが、映画業界に関するほかの学術的調査も、「スーパースターの呪い」ともいうべきこの現象を裏づけている。
P.177

スターが、それだけのギャラを取れるようにまでなったこと自体も面白い。
でもあくまでも採算が合わない水準は長続きしないだろうなぁ。


大して好きじゃない人たちを動かす

要するに、映画好きとか言ってるけど、
大して見てないしっていうぬるーい人たちが人気商品の支持者層。
無名商品買うのはオタク。
まぁ、そういうもんだよね。

人気商品の支持者のうち極端なほど大多数の人たちが、どちらかというと淡泊な消費者(特定の種類の商品をそれほど頻繁に購入しない)で、無名商品の支持者のうちごくごく少数の人たちが、どちらかというと旺盛な消費者(その種の商品を頻繁に購入する)であることを発見した。
言い換えれば、無名の商品は、それに代わる多くの選択肢をよく知る人たちに選ばれ、人気商品は、他の選択肢をほとんど知らない人たちによって選ばれる。
P.226

で、そういうふわふわした、ぬるい大衆を動かせるとヒットするんだよなぁ。

で、ネットの普及とともにロングテールの可能性が喧伝されたけれど、
ビジネスで重要なのはやっぱりヘッドなんじゃない?って話も。

「テールは非常に興味深いが、現実として、収益の大部分は相変わらずヘッドにある。
これは企業が学ぶべき教訓である。
ロングテール戦略を擁する一方で、ヘッドももつほうが良い。
それは、ヘッドこそが収益を生み出す場所だからだ」。
シュミットはこれを「90対10のモデル」と称して、「われわれはロングテールを気に入っているが、わが社の収益のほとんどはヘッドからあがる」と述べた。
グーグルが実際に、収益の90パーセントを上位10パーセントの広告主からあげているとすれば、同社がビジネスを行っている大半の相手はおそらく、グーグルが検索連動型広告を開拓する以前の従来の市場で活躍し、従来のメディア広告で今なお最大のシェアを誇る大手広告主ということになる。
P.228

グーグルですら、収益のほとんどをヘッドから上げている。
テールの集積は確かに売上高としては相当量あるのだろうけど、
収益という観点からはロングテールは有効ではないのかも?


デジタルの進展とブロックバスター化の加速

電子書籍は安くて当たり前的な消費者の発想。
まぁ、気持ちはわかるけどね。
でももはやコンテンツは無料が当たり前みたいな感覚が
すごく強くなってるからな。

読み放題、見放題の普及で個別タイトルへ金を払う感覚ってどんどん希薄になってる気がする。
コンテンツホルダー側も、あんなサービスになんでコンテンツを提供するのか謎。
どうやったってマネタイズできないような過去のクソコンテンツだけあてがっとけば良いのに。
胴元の取り分が大きすぎるからあれに乗っかるのは本当にバカらしい。

消費者は普通、エンターテインメント商品の独特のコスト構造についてほとんど知らないので、どのくらいの代金が適正なのか、正しい認識をもちにくい。
著者の見るところ、世間一般の人々は、(ハードカバーの書籍やCD、DVDなど現物商品の製造や梱包、出荷にかかるコストを高く見積もる傾向がある。
そのせいで多くの人は、デジタル商品(コストの多くが削減される)について、メディア企業が実際に提供できる価格より、はるかに安い価格で購入できるはずだと思い込む。
P.240

で、ちょっと話は変わるけど、デジタル化の進展がブロックバスター化を助長するという話。

全般的に見て、デジタル技術の進歩は一見、″民主化を促す″影響力があるかに思えるが、現実には正反対の力をもつ傾向がある。
かえって、一極集中化とひとり勝ちの力学を助長するのだ。
メディアーコンテンツの再生産、流通、消費を容易に、かつ廉価にすることで、新技術は世界中の人々に、人気の高いテレビ番組や映画、書籍を入手する手段を次々と与えている。
このように急速に進展する市場において、ブロックバスターとスーパースター起用の妥当性は高まり、ブロックバスター戦略の有効性も強まっている。
P.246

個人的にはこの辺の話がすごく面白い。
趣味嗜好は多様化していくように思えるけど実はしていない。
消費者は自分で選んでいるように見えて、実は選ばされている。

コンテンツビジネスはまだまだおもろい!

ブロックバスター戦略―ハーバードで教えているメガヒットの法則

ブロックバスター戦略―ハーバードで教えているメガヒットの法則

マイケル・アブラショフ/アメリカ海軍に学ぶ「最強のチーム」の作り方

とある日のこと、知人がビジネススクールの教授に、
部下のマネジメントに関して相談したそうな。

そしたら先生から一言質問、その部下たちは頭良いのか?と。
答えて曰く、あんまり頭良いほうじゃないです、と。

それならこれ読め、とオススメされたのがこの本だったらしい。

そんな噂話を聞いて、自分でも読んでみたくなったので読んでみた次第。
まぁ、マネジメントには色々なスタイルがあるし、
正解はないのかもしれないけれど、この人のケースは成果を上げた一つの事例ではある。

アメリカ海軍に学ぶ「最強のチーム」のつくり方

アメリカ海軍に学ぶ「最強のチーム」のつくり方


議論は議論

議論は尽くすほうが良い。
でも一度決まったら、自分の意見とは違ったとしても決まったことの実行に全力を尽くす。
これがとても大切。たまにこの辺がわからないバカがいるけど本当に良くない。

くだされた命令が自分の意見と一致しない、それでもそれを執行する責任がある、ということはたびたびある。
どうしても異議があれば、上司と話し合うことが必要だろう。
だが、もし議論に負けたのなら、その命令を100パーセント納得して実行することも大切だ。
P.52

それと、部分最適の集合が全体最適になるわけではないので、
取り上げられなかった意見が間違いというわけでもない。
ある部分においては正しい意見を言っていることは往々にして多い。
中途半端に頭の良いやつはこの辺でつまずく。
正しいこと言ってるはずなのにわかってもらえない、みたいな。
でもお前が見ている範囲は全体からしたらごく一部でしかないんだよっていう。


帰属意識

確かに自分の仕事への帰属意識とか、誇らしさみたいなものを
一人一人が持てると素晴らしいとは思うけど、
多少洗脳じみたことも必要になってくるよなぁ、と思ったり。
まぁ、ビジネススクールではビジョンとか言うけど。

私の部下たちは、さまざまな寄港先で、新しい友だちを文字通り、何十、何百人もつくっているようで、彼らが熱心に艦に招こうとするのを見て心を打たれた。
彼らがペンフォルドを誇らしく感じているのは明らかだった。
企業もこうした誇りを生み出すことができるはずだ。
社員が自分の職場を友人に見せたくなるような場所だと考えるようになれば、どんなにすばらしいだろう。
もし社員がそうした帰属意識を持つなら、ささいな原因による職場での不和など消えてなくなるはずだ。
P.228

まぁ、育児みたいなもんだな

部下の成長を喜びとするってこと。
まぁ自然とそうなってくる気はする。
部下が成長したなぁ、っていう実感が喜びになるんだろうな。

そこを履き違えなければ良いマネジメントができるのだと思う、多分。
少なくとも部下の手柄を横取りしようみたいな上司は、
何もわかっていないってことだな。

人はみな自分がいかにうまくやったかということにこだわるが、指導者の最大の満足感は、個人の業績を超えたところにある。
それは他の人問の能力を引き出すことである。
ペンフォルドでの任期中、問違いなく私はその衝動に突き動かされていた。
P.237


アメリカ海軍に学ぶ「最強のチーム」のつくり方

アメリカ海軍に学ぶ「最強のチーム」のつくり方

ワークフローをプログラマー的な視点で見るといいかも? 清水亮/最速の仕事術はプログラマーが知っている

まぁタイトル通りのお仕事術の本。
効率化のためのTips集でもあるのだけど、
どこに注目して工程の無駄を省くか、という考え方の本でもある。

別段ものすごく目新しいことが書いてあるわけではないと思うけれど、
ワークフローの無駄に眼を光らせ、合理的な解決策を導き出す、
この思考回路がプログラマーとしての思考と親和性が高いってのはよくわかった。

まぁ頭の良い理系って文系的なバランスがとても良い印象。
賢い人は文理の壁を越えるんだな。

中途半端が一番良くない・・・。

最速の仕事術はプログラマーが知っている

最速の仕事術はプログラマーが知っている

最速の仕事術はプログラマーが知っている

最速の仕事術はプログラマーが知っている

ネットの情報は価値なし

便利になったけど、そこに公開されている情報は誰でもアクセスできるものだから
本質的に差別化要因にならないって話。

「重要な情報」とは、競争相手に勝つためのヒントになるとか、その情報自体が大きな資産価値を持つ、というものだとここでは定義する。
とすると、当然ながらすべての人々に無償で提供されている情報に重要な価値があるわけがない。
例えばWikipedia は非常に有用ではあるが、Wikipedia に書かれた記事から利益を生むような価値を生み出すことはとても困難である。
このとき、Wikipedia の情報は有用ではあるが重要ではない、と定義することにしよう。
ということは、本質的に重要な情報はWebで検索できないのである。
重要な情報というのは格差の中にあるわけだから。
「みんなが知ってて当たり前」の事実だけをもとに価値のある情報を選びとるのはとても困難だ。
P.83

この話って以前読んだ内田和成『プロの知的生産術』でも言ってたことだな。

digima.hatenablog.jp


サイトのアーカイブ

これは、メモ。面白そう。

「この企業のかつてのWebサイトはどのようなデザインだったか」という、時系列の変化を追いたい場合は「Internet Archive: Wayback machine (http://archive.org/web/)」が有効である。
このサイトは過去の4600 億以上のWebサイトをそのまま保管しており、有名なサイトなら過去の任意の時点のページを参照することができる。
いわばインターネット全体の歴史が保管されている。
P.86

クリエイティビティは移動距離に比例する

そうなんだ、初めて聞いたよ・・・
まぁ、ゲーム業界じゃないから仕方ないのかもしれんけど。

ゲーム業界では古くから「クリエイティビティは移動距離に比例する」と言われている。
しかもできるだけ低い位置の移動がいい。
低い位置、というのは、つまり飛行機よりも電車、電車よりも自動車、自動車よりも自転車、自転車より……も徒歩ということだ。
P.95

経営者は本質的にニート

たしかに、字義にもかなってるし、
経営者は働いたら(自分の手を動かしたら)負け、なのは確か。

私はよく、自分の職業を聞かれた際、「ニートです」と答える。
なぜか?NEETとは、Not in Education, Employment or Training の略だからである。
私は誰かに雇用されている(Employment)わけではないし、教育を受けている(Education) わけでも、訓練中(Training) でもない。
つまり経営者は本質的にNEETなのだ。
NEETといえば、「働いたら負け」である。
P.150


最速の仕事術はプログラマーが知っている

最速の仕事術はプログラマーが知っている

最速の仕事術はプログラマーが知っている

最速の仕事術はプログラマーが知っている

コンテンツビジネスに関わる人は必読の書だろうな。名著。 川上量生/鈴木さんにも分かるネットの未来

ドワンゴの川上さんがジブリの鈴木さんにネットのことをわかって貰うように解説、というコンセプト。
わかりやすく、平易な言葉で、本質を突いている。
川上さんの本は初めて読んだけれど、とても頭の良い人だな、と感心。
そして、角川はちゃんと考えて、あるべき姿を目指していることがわかる。


劣等感と優越感

このネット民の気持ち、特に優越感の方は、20年前に自分がネットに感じたワクワク感、興奮を思い出すな。
読んでて思ったけど、世間一般のイメージでは、ネットに対するネガティブな印象って強いんだろうな。
ネット住民=社会から阻害されたというイメージは持っていなかったから、逆に世間の印象を感じたくだりでもあった。

ネット住民になることを選んだのは現実社会から疎外されたという消極的な選択肢としての理由も大きな部分を占めているとは思いますが、それ以上にネットの世界は面白くて時代の先端だと自分から望んで飛び込んできた部分も非常に大きいのです。
そして自分たちがネットの可能性を早くに見つけ、そこを住処に選んだことには誇りを持っているのです。
現実社会への劣等感と優越感がないまぜになったコンプレックスというのが、ネット住民の心性を表す大きな特徴なのです。
P.27

ネットとメディア

情報は完全自由競争時代になり、マスメディアはマスに情報を行き渡らせる装置としての機能がより重視されている印象。

ネットで従来のマスメディアのビジネスが危機を迎えている根本的な理由は、独占していた情報の流通経路がネット企業に奪われ、情報の発信者としては個人とすら競争しなければいけないという完全自由競争の中に放り込まれたからなのです。
P.47

マスに情報をデリバリーする力はやっぱり侮れないんだよなぁ、マスメディア。

つまりネットメディアにおいてもロコミを喚起するための正当な宣伝手法はマスメディアを使うことなのです。
そしてネットには、まだテレビほどの巨大な影響力のあるマスメディア的なものは存在していないのです。
これが、いまだにネットのムーブメントを起こすのにもテレビがもっとも重要なメディアである理由ですし、また、テレビをまったく見ないような若い世代に対してはなかなか有効なプロモーション方法が存在しない理由です。
P.62

一部のマスメディアが情報操作を握っていた時代から、誰でも情報操作が可能な時代へ。
それは真実へ近づくかというとそうではないってところが面白い。

たしかに情報を発信する権利はマスメディアの独占ではなくなり、ネットメディアによって民主化されました。
しかし、情報を発信する権利の民主化は、同時に情報を操作する権利の民主化を意味したようです。
ネットメディアの時代とはマスメディアにより特定の嘘の情報を流し続けることが難しくなった時代ではありますが、それによって真実の情報が流れるようになったのかというとそれも違うのです。
大衆がだれでも情報操作をすることが可能になったのが、ネット世論の世界なのです。
P.70

ディアビジネスに関して

コンテンツのマネタイズが非常に難しい構造になってしまっているということ。
広告のモデルの中にもコンテンツへ還元する仕組みが弱い。
特にオリジナルコンテンツへの還元が厳しい。

まとめサイトやキュレーションメディアに使われてしまう状況。
これだとオリジナルコンテンツの制作にコストをかけられない。

通常、ネットの広告費はPV(ページビュー)数だったりクリック数だったりで決まります。
PV数というのはウェブページが何回表示されるかです。
クリック数というのはウェブページに貼ってある広告のボタンが何回押されたかです。
ウェブページの中身に感動したかどうかとかは関係なくて、あくまでウェブページにおまけでついている広告バナーを何回見せたか、何回クリックされたかでしか広告収入は増えないのです。
そうなると1PVあたり、もしくは1クリックあたりにどれだけ安いコストでウェブページをつくれたかどうかで儲かるか儲からないかが決まります。
コンテンツの中身は関係なくなるのです。
第2章でも説明しましたが、ネットには2ちゃんねるで話題になった掲示板をコピーして見やすくしただけの「まとめサイト」というジャンルがあります。
これはなにしろ話題になった掲示板をコピーして表示するだけですから、簡単にコンテンツがつくれて、しかも面白いのです。
ネットでコンテンツを広告モデルでつくるというのは、こういうコピーしただけのコンテンツと同じ土俵でコスト競争するということなのです。
P.80

上記のようなコピーコンテンツとコスト競争なんて勝てるわけもなく・・・
ただ、クオリティの高いコンテンツへの需要もまた、次第に高まっていく可能性もある。
一部のキュレーションサイトがオリジナルコンテンツに注力しだしたように。
でもそれも、コンテンツ配信のプラットフォームを持っているところが、オリジナルコンテンツの作成をするからこそ可能なこと。
結局従来のコンテンツ制作者である出版や新聞はコンテンツをデリバリーする力を失ってしまっている。
プラットフォームになろうとしていないから。
ネットの世界ではデリバリーできるやつが強い。

コンテンツを紹介しているウェブページがあった場合、PV数=広告収入は紹介したウェブページの所有者のものになります。
また、コンテンツを探すために検索をした場合はグーグルやヤフーの広告収入になります。
そしてコンテンツの感想をSNSとか掲示板でユーザが書いたりするとSNSや掲示板のPV数=広告収入になるのです。
つまりコンテンツの制作費用を賄うためにインターネットの広告モデルを利用すると、コンテンツをつくった人以外のプレイヤーにも同時に広告収入が発生する仕組みになっているのです。
この仕組みでは広告収入の分け前はインターネット全体に広く薄く分配されますので(グーグルとかの広告プラットフォームには厚めですが)、一見すると分かりにくいですが、コンテンツをつくることで発生したPV数=広告収入のうちコンテンツ側に還元される割合はかなり小さくなるのです。
P.82 - P.83

ほんと、まったくもって仰るとおり。
コンテンツ制作側が儲けるのが無理ゲーになりつつある。


プラットフォームとの付き合い方

コンテンツを利用することしか考えていない相手なので、ボケーっとしてると良いように使われて捨てられる。
その辺、しっかりと戦略を持って交渉する、ということができてないので、
個別に交渉負けしてなし崩しになってしまう。

インターネット業界のほうでよく電子書籍の価格を紙より安くすれば普及するんだと出版業界を非難する人がいますが、安くしなければ普及しないようなものを新しい時代のメディアだと主張するのはどうかしていると思います。
長期的にはコストの安いデジタルコンテンツの価格が競争の結果として低下することはあっても、まだ普及していない段階で、デジタルコンテンツというプラットフォームが普及するためのコストを払うべきなのはプラットフォームを握っているインターネット業界側であって、コンテンツ側に低価格戦略を無理強いすることでプラットフォーム普及のための宣伝費を肩代わりさせるような理屈はおかしいのです。
P.89

おかしいものにおかしいとしっかり言い切るのが重要なのだけど、
最初から腰が引けてるか、コロッとだまされて良い話を貰ったかのように動いてしまう人がいたり・・・。

プラットフォーム側はユーザを増やしたいのでコンテンツを欲しがります。
プラットフォームにとって殼大の宣伝材料はコンテンツなのです。
したがって、プラットフォームは強力なコンテンツには特別な条件や契約金を提示することがよくあります。
また、コンテンツ側としては新しいプラットフォームに対しては、できるだけもったいをつけてコンテンツの提供を渋るというのが正しい基本戦略になるのです。
P.97

この当たり前の基本戦略が有効なうちに、最大限活用しなければいけないのだけど、
こと出版物に関していえば、気づいたところで見直す可能性は残されている。
ただ、その場合、Amazonなんかは交渉決裂後ユーザーは突然読めなくなる、なんてことも起きかねない。

一般にプラットフォームというものは、「われわれはコンテンツはつくりません。
みなさんの商売の邪魔をしませんから、自由にわれわれのプラットフォームを使ってください」みたいなメッセージを発信することが多いですが、コンテンツをつくるというのは実は一番手間がかかって大変な部分です。
コンテンツをつくらないというのは、プラットフォームにとっては楽をする戦略であるともいえます。
また、プラットフォームが並立している場合にはプラットフォーム間の競争のためにコンテンツが販促手段として犠牲にされがちな構造が先のようにあるわけです。
ですからぼくは、コンテンツはつくらないと宣言するプラットフォームがフェアであるとも責任ある態度だとも思いません。
任天堂ソニー・コンピュータエンタテインメントのように自らもコンテンツをつくり、コンテンツから利益をあげる家庭用ゲーム機のようなプラットフォームが、実はコンテンツが儲かる仕組みが維持されて、コンテンツのクリエイターにとって幸せな環境ではないかと思うのです。
P.110

コンテンツ制作側が儲かる構造を模索しないと、コンテンツがどんどん作りづらくなる。
コンテンツ制作って、博打みたいな投資でもあるから。
まぁこれだけコンテンツがあふれてる現代において、新しいコンテンツなんているの?っていう問題もあるのだけど。


顧客と直接繋がることの重要性

この重要性にコンテンツホルダーが本気で向き合うことが重要で、
角川は他の大手出版に先んじてちゃんとやろうとしてる。
そんなに好きな出版社ではないけれど、やってることはとても正しい。

顧客接点の死守、これが非常に重要なポイントなのです。
逆にいうと、いまのiTunes StoreKindleストアにコンテンツを提供しても顧客との接点はアップルやアマゾンに独占されるだけなのです。
お客さんがコンテンツを購入したとき、iTunesKindleで購入したとは記憶するでしょうが、そのコンテンツがどの出版社のものなのかということは通常あまり意識されません。
また、コンテンツ側はどのユーザがコンテンツを購入したかの情報がもらえませんから、購入者限定で、なにか特別なマーケティングをおこなうこともできません。
あるコンテンツを購入した人に他にどんなコンテンツを買えばいいかをリコメントするのはプラットフォーム側の権利であって、コンテンツ側の権利ではなくなるのです。
P.112

読み放題、見放題、聞き放題

最近、すごい勢いでこういうサービスが乱立してきているけれど、、、

定額の月額料金を支払えばすべてのコンテンツが無料で利用できるというサービスモデルがネット時代には主力になるとして注目されています。
個別のコンテンツごとに課金するモデルは、もう古いというわけです。
ぼくはこのような定額サービスは過渡的なもので、限界があると思っています。
理由はシンプルで、すべてのコンテンツの制作費を賄うほど収入を分配することが難しいだろうからです。
もし、できるだけ多くのコンテンツの制作費を賄えるように収入を分配すると、今度は一番人気のある作品が定額サービスに加わることが損になります。
人気のあるサービスは、利益を全部自分たちで得ようとおそらくは独自のプラットフォームをつくるほうヘシフトするでしょう。
P.121 - P.122

そして本当にこうなるとしたら、これからのコンテンツビジネスは結構面白い状況になるかも。
主導権を巡る大乱戦。


テレビの価値

多チャンネル時代はテレビ自体の影響力を弱めてしまう、というのは至極ごもっとも。

テレビの競争力を生み出す鍵となっているのは、大量の人々に同時体験を与えているということです。
この構図が崩れるとテレビの優位性は失われます。
したがって、ぼくはテレビ局の多チャンネル化については注意が必要だと思います。
ネットにおいて競争力を確保するためには、むしろ、チャンネル数を減らし絞ることが有効であり、チャンネルを増やして多様なユーザニーズに対応するのは、放送免許にもはや守られないテレビ局の最大の武器である大量の視聴者を分散させてしまう危険があるからです。
P.244 - P.245

多様性って難しい

そもそもオリジナルな物を作り出せる才能というのはとても貴重で希少なものだってことを
認識しないとダメだな、と思う。当たり前のことだけど、その業界の人でも忘れてしまいがち。

あと最近、集合知も素晴らしいけど、一歩間違うと集合愚、みたいな状況にもなっちゃうよね、てのが気になってる。
そもそも人が増えれば増えるほど、平均に回帰していくわけで、
イデアとか閃きって必ずしもみんなでどうこうした方がいいものができるってもんじゃない。

UGCの最たるものでもあるAmazonのレビューとかも、レビュー数が多くなればなるほど、
参考にならないというか、ゴミみたいな情報をより分けるのが面倒くさくなるなぁ、とか。

UGCは自由につくれるので、コンテンツの多様性があるというふたつ目の指摘は本当でしょうか?これについて、ぼくは非常に懐疑的です。
アマチュアは自由に創作できるにもかかわらず、むしろ作品の多様性は失われる傾向にあると思います。
たとえばネットサービスではありませんが、ユーザ主体の即売会であるコミケを例にとると、ほとんどの作品はパロディなどの二次創作であって、オリジナル作品は少数です。
商業作品と比較するとむしろ偏っているように見えます。
二コニコ動画についても同じで、どんな動画を投稿しても構わないのに、投稿されているジャンルには明確な偏りがあります。
商業作品で人気のあるジャンルよりは、むしろ商業作品では存在しないジャンルにユーザは興味があるようです。
P.285

イノベーションを創発する組織、そこには天才を活かす工夫がいっぱい。 ジョン・ガートナー/世界の技術を支配するベル研究所の興亡

アメリカの巨大通信会社AT&Tの子会社の研究所。
なんとなくすごい研究所、というイメージくらいしかなかったけれど、
改めて読むとすごいところ。

ノーベル賞7人も輩出してるし、トランジスタとか電波望遠鏡
レーザー、情報理論C言語、なんてのもこの研究所の研究成果。

そんなベル研究所の歴史を真正面から捉えたのがこの本。
類書もたくさんあるのかと思いきや、Amazonで検索しても全然出てこないから、
ここまでベル研究所にフォーカスした本はあんまりないのかも。

世界の技術を支配する ベル研究所の興亡

世界の技術を支配する ベル研究所の興亡


ちなみに以前読んだ、情報理論を確立したシャノンもここに在籍。digima.hatenablog.jp

すべての情報は0と1で表せる!
ベル研究所の研究成果がなかったら今のような情報通信の世界は来てないんだろうなぁ。

というわけで、偉業の歴史であり、イノベーションを起こす組織や人に関する記録って感じ。


イノベーションは予測不可能

アーノルドは後年、研究部門についてこう語っている。「我々の成果として重視されていたのは発明だったが、それは計画したり、強制することが不可能なものだった」。研究部門の意義は<天才にふさわしい活動の場を与えること>にあった。アーノルドが言わんとしていたのは、天才も技術者と同じように確実に会社の事業に貢献する、ということである。だが天才は予測不可能なものだ。それでも開花する余地を与えなければならない。
P.38

イノベーションとオペレーションの決定的な違いは、予測不可能であること。
すなわち、かけた時間、コストが成果に必ずしも繋がらない、ということ。

この辺の話はホンダでエアバッグを開発した小林三郎の本が、非常に良く整理されている。

digima.hatenablog.jp


そして日本のメーカーの凋落をイノベーションをオペレーションと同じようにマネジメントしようとした結果だと断じている。
これって本当に大切なこと。効果、効率を求めすぎると組織は硬直化してイノベーションは起きづらくなる。
一見無駄に思えることが後で大きな成果を生む可能性がある。
目先の効率重視だと大きなものを見失う可能性がある。
ベル研究所もまさにそのことに自覚的だったことがわかる。


イノベーション創発させる工夫

思いもよらぬ所から閃きにつながることを自覚していたベル研究所は、
とにかく人とのコミュニケーションが生まれる設計をしていた。
一見自分とは関係ない人との他愛もない会話が閃きにつながることもある。
人に話しているうちに自分で閃くこともある。
自分にとっての悩みが、違う世界の人にはごく簡単な問題だったりする。

 「大学キャンパスは学部ごとに建物が分かれているが、その点は見習うつもりはなかった。逆にすべての建物を連結することで、異なる部門が一定の場所に押し込められないようにして、部門間の交流や緊密な連携を促すようにした」とバックレーはジューエットに説明している。つまり物理学者、科学者、数学者がお互いを避けたり、研究部門の人間が開発部門の人間を邪険にしたりするようなことがないようにしたのだ。
 だれもがいろいろな人と顔を合わせざるを得ないような工夫が凝らされた。研究員には通常、研究室とオフィスが両方与えられたが、同じ階にあるとは限らなかった。二つの部屋を行き来する間に、何人かの同僚と顔を合わせるようにという配慮だ。同じ狙いから、物理学者が入居する予定の建物では、廊下の長さが700フィートにも達した。
P.90

ベル研究所のタブー

 ベル研究所の研究員には、たとえて言えば、表面準位のように、超えてはならない壁がいくつかあった。靴下をはかないとか、仕事時間に電話事業とは一切関係のなさそうな機会をつくるといった奇行は許容されていた。その一方、許されない行為もあった。たとえば秘書を誘惑することは絶対に許されなかった。研究室の扉を閉じて仕事をすることも認められなかった。相手の社内的地位や所属部門にかかわらず、同僚から助けを求められたときに協力しないことも許されなかった。
 とりわけ最も重要だったのは、スーパーバイザーは部下を指導することはできても、干渉することは認められないというルールだった。
P.119

で、トランジスタが発明された時、ショックレーはこのタブーを破って、部下の成果に自分のアイデアを組み込んで進化させてしまう。
よっぽど忸怩たる思いがあったんだろうな。
そして、勝手に進展させることができたのもショックレーが並はずれた天才だったから、でもある。

世界の技術を支配する ベル研究所の興亡

世界の技術を支配する ベル研究所の興亡