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人は自由なんじゃなくて、自由だと思い込んでいるだけ。 小坂井敏晶/社会心理学講義

超絶面白い。
今年もまだまだ始まったばかりなのに、
今年のベスト3に入るんじゃないかと思うくらい。

何が衝撃かというと、個人の自由意志なんてないんだとのっけから示される。
一方で、自由意志があるという錯覚は、学歴があればあるほど、
いわゆるエリート層ほど抱く錯覚なんだとさ。

そう言われて、どう思うか?
その通りと思えるか、そんなバカなと思うか。

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)

集団の影響からは逃れられない

この衝撃は『データの見えざる手』を読んだ時と似ている。
あの本でも
「24時間の配分は自分の意志次第でどうにでもなると思ってきたけれど、それは錯覚」
という話が衝撃だった。

digima.hatenablog.jp


結局この本がいう自由意志の否定も『データの見えざる手』が示していることに通じる部分がある。

個人の自由意志なんかよりも、はるかに人は集団に影響されてしまう。
そんな現実がある。
個人は集団に影響を与えつつ、集団の影響も受ける。
個人と集団には相互作用があるのだ。

我々が提案する集団研究の目的は、個人力学と集団力学の間の恒常的な相互効果を強調し、集団が個人を形成・社会化し、行動および思考形式を刷り込むと同時に、集団も個人によって生み出される事実を明らかにすることである。
個人は単に集団に服従する存在ではない。

今日の異端が明日の救世主

常に一歩引いてみる重要性。
真の多様性とは自分と全く異なる価値観を認めること。
自分の考えも、相手の考えも相対化してプロットすること。
真理も、正解もない、中心のない世界ってまるでポストモダンそのものじゃないか。
全てが相対化される世界、その自由さの魅力はもちろんわかりつつ、
人は正解のない自由さに不安を抱いてしまう生き物だったりもする。

真理はどこにもない。
正しい社会の形はいつになっても誰にもわからない。
だからこそ現在の道徳・法・習慣を常に疑問視し、異議申立てする社会メカニズムの確保が大切です。
今日の異端者は明日の救世主かもしれない。
無用の用という老子の言葉もあります。
〈正しい世界〉に居座られないための防波堤、全体主義に抵抗するための砦、これが異質性・多様性の存在意義です。
良識と呼ばれる最も執拗な偏見を、どうしたら打破できるか。
なるほどと感心する考えや、これは学ぶべき点だと納得される長所は誰でも受け入れられる。
しかし自分に大切な価値観、例えば正義や平等の観念あるいは性タブーに関して、明らかにまちがいだと思われる信念・習慣にどこまで虚心に、そして真摯にぶつかれるか。
自己のアイデンティティが崩壊する恐怖に抗して、信ずる世界観をどこまで相対化できるか。
異質な生き様への包容力を高め、世界の多様性を受けとめる訓練を来る世代に施す。
これが人文学の果たすべき使命ではありませんか。

そんなことを考えていたら、この本を思い出した。

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

人は自由に耐えられないのだよ。

個人の人格など関係ない

人間には自由があり、意志に応じた行動を取る。
各人は固有の性格を持ち、そのために行動にも個性が現れる。
我々はこう信じます。
しかし、このような素朴な人間像に社会心理学は真っ向から挑みます。
各人の行動を理解する上で、人格などの個人的要因はあまり重要ではない。
これが社会心理学の基本メッセージです。

こんなこと言われても、俄かには信じがたい。
というか信じたくない。
必要十分な努力によって成果は得られるし、
望んだ成果が得られないのであれば努力の質か量が足りないのだ。
そういった考え方がいわゆるビジネスエリートの根底にはあるのではないか。
自分も基本的にはその考え方を信じて生きてきた。

ちょっと前にアドラー心理学が話題になったけど、
アドラーの考え方ってビジネスエリートに共通する考え方だとすごく感じた。
他人のせいにしないで、全てを自分のせいとして引き受けるのは一見立派な考え方に思えるが、
結局そう思う方が楽なんだよね。

digima.hatenablog.jp


自分のせいだと思うことの根底には、自分次第でなんとかなるという世界観が前提になっている。
それが希望なんだよ。
自分次第でどうにかなる世界の方が可能性という希望を感じられる。
何をやってもどうにもならない世界なんて面白くないというか、
全てを受け入れるしかないなんて絶望でしかないでしょ。

でもそんなのはある種の欺瞞だと、社会心理学は突きつける訳だ。

人はいくらでも残虐になれる

この実験をして、最も悲惨でかつ残念に感じた点は、加虐傾向のない正常な人間でも残酷な行為を簡単にしてしまう事実だ。
監獄の状況に置くだけで、反社会的行動を引き出す十分条件をなすのである。

この実験というのは、善良な学生たちを囚人と看守役に分けて
模擬監獄をやらせてみたところ、看守は囚人(ただの役でなんの罪も犯していない)に対して、
嫌がらせなどを行い、それが日に日にエスカレートしていって実験を6日で中断せざるを得なかったというお話。

看守役も囚人役も、ごく普通の善良な市民なのにこうなってしまう。
それが社会心理学が突きつける真理。

意志だと思っているものは後付けに過ぎない

社会状況に応じて人間行動は、どのようにも変わる。
悪人だから犯罪をなすのではない。
確かに、すんでのところで犯罪行為を踏み止まる者もいれば、一線を越えて罪を犯し、投獄される者もいる。
同じ社会環境の下で育っても、ある者は人を殺し、他の者はそうしない。
しかしそれは逆に、行動に応じた意識が後になって形成されるのです。
警察の厳しい尋問の下、犯行動機が後から作られる。
また服役生活において罪を日々反省する中で、犯罪時の記憶が一つの物語としてできあがる。

これだけ読んでもナンノコッチャ、そんなバカな、と思うのだけど。

手首を動かす指令が無意識のうちに生じると、運動が実際に起きるための神経過程と、手首を動かそうという「意志」を生成する心理過程とが同時に作動する。
自由に行為すると言っても、行為を開始するのは無意識過程であり、行為実行命令がすでに出された後で「私は何々がしたい」という感覚が生まれる。
勘違いがないように念を押しますが、ここで検討しているのは、身体の運動が何気なしに生じ、それに後から気づくという事態ではありません。
自由にかつ意識的に行為する場合でも、意志が生じる前にすでに行為の指令が出ている。
そのため、自由を脅かす実験結果として発表当時、哲学や心理学の世界に激しい衝撃を与えました。

手首を動かそうと思って手首を動かした、その行為の過程で何が起きているのか。
手首を動かす脳の指令は無意識化で起きていて、その後で手首を動かしたいという感覚が生まれる!
脳の中ではそういう処理がされているんだそうだ。
つまり、意志とは後付けの錯覚に過ぎない。

悪名高いナチスのユダヤ人虐殺=ホロコースト
その原因は、反ユダヤ主義なのか、というとそうではないというのが今日の認識らしい。

反ユダヤ主義が原因でホロコーストが生じたのではない。
しかし、いったん虐殺が開始されれば、殺戮者の苦悩を麻痺させる手段が必要になる。
そういう意味で、反ユダヤ主義ホロコーストの原因というよりも、逆に虐殺の結果だと言えるでしょう。
ホロコーストの本当の恐ろしさは、あからさまな暴力性ではありません。
逆に、むき出しの暴力をできるかぎり排除したおかげで、数百万にも上る人間の殺戮が可能になったのです。

反ユダヤ主義は、ユダヤ人を虐殺したことに対するエクスキューズとして生まれている。
反ユダヤ主義は原因ではなく結果なのだ!

意志や意識は行為の出発点ではない。
これは認知科学でよく知られた事実です。
近代人が信じるような、統一された精神や自己は存在しない。
脳では多くの認知過程が並列的に同時進行しながら、外界からもたらされる情報が処理される。
意識とか意志とか呼ばれるものは、もっと基礎的な過程で処理されたデータが総合された生産物です。
行動を起こす出発点ではなく、逆に、脳で行われる認知処理の到達点の一つです。

意志とは後付けに行われる脳の認知処理!!!
じゃあ、一体俺たちはなんなんだ!
自分の意志が後付けだとしたら、自分は何に動かされているのだ!
これが正に未だに解けていない謎なんだそうだ。

要するに主体はどこにあるのか。
主体的な意志だと思っているものが後付けの認知処理なんだとしたら、
我々が突き動かされる衝動の主体はどこにあるのか!?

でもそれはまだわからんらしい。
正直この問題を考え始めると気が狂う気がするから、
そういうもんかと流しておきたい。

〈私〉は脳でもなければ、イメージが投影される場所でもない。
〈私〉はどこにもない。
虹のある場所は客観的に同定できず、それを観る人間によって、どこかに感知されるにすぎない。
それと似ています。
〈私〉は実体的に捉えられない。
〈私〉とは社会心理現象であり、社会環境の中で脳が不断に繰り返す虚構生成プロセスです。

〈私〉とは社会心理現象!!!
自分はどこにいるのか!?
自分は社会であり、社会は自分!?

因果律に潜む恐ろしさ

原因があって、結果がある。
でもこれを突き詰めていくと、結果があるものには原因があるとなる。
不幸な人には不幸になる原因がある、とする考え方。
いじめられる奴にも問題がある、レイプされる女にも原因があった、とかそういう言説は
正に因果律を突き詰めた結果の歪んだ思考。

因果応報や信賞必罰はありふれた信念ですが、その論理を突き詰めると恐ろしい帰結に至ります。
話の筋道を逆にしましょう。
悪いことをしなければ、罰を受けないのが本当ならば、現実に不幸な目にあった大は何か悪いことをしたはずです。
不幸の原因が本人にあるはずです。
拷問を受けて苦しんだのは、この女性が愚鈍だからだ、実験者の言うことを守らなかったからだ。
そう思い込むことで彼女の不幸が正当化される。拷問を受ける人の苦しみが大きければ大きいほど、その場面を目撃する者の無力感や罪悪感は強い。
しかしその時、拷問される理由が本人にあるのだと思い込めば、自己責任だから仕方ないと納得できる。
したがって女性の苦難が続行する時こそ、彼女自身に責任が転嫁されやすいのです。

でも、近代以降の社会を形作る基本的な考え方なんだよね、因果律って。
原因があるから、結果がある。意志があるから、行為が行われる。
自由意志が担保されているから、行為の責任を負わねばならない。

因果律を基に責任を定立する近代法において意志が重要な役割を果たすのは、意志が行為の原因をなすと考えるからです。
行為と関係ない単なる心理状態ならば、意志について議論する意味が失われます。
ところで意志が原因をなすならば、それに対応する行為は必ず生じなければならない。
原因と結果の間には定義からして必然的関係がある。

このずっと当たり前だと思っていた大原則すら、逆なんだとこの本は言う。
なんという衝撃!

人間が自由だから、そして人間の意志が決定論に縛られないから責任が発生するのではない。
人間は責任を負う必要があるから、その結果、自分を自由だと思い込むのだ。

格差の心理

身分社会の場合は、違う身分の人は世界が違い過ぎて比較対象にならない、というお話。
人は自分と近しいレベルのものを羨む。
そこに承認欲求が生まれて、比較による嫉妬、羨望が生じてしまう。
それって1億総中流社会なんてことを喧伝していた日本においてはものすごく顕著な社会心理現象なんじゃなかろうか。

格差はなくならない。
他者との比較が自己同一性の維持と密接な関係にあるからです。
とはいえ格差は少しでも減る方がよいのではないか。
士農工商と身分が分かれて公然と差別される社会に比べれば、民主主義社会の方がましではないか。
しかしそれは人間心理を知らない者の楽観論です。
近しい比較対象との差こそが問題を孕むとアリストテレスは『弁論術』「羨望」(第二巻第十章)において指摘しました。妬みを抱くのは、自分と同じか、同じだと思える者に対してだ。
それは家系・血縁関係・年齢・人柄・世評・財産などにおいて似通った人のことだ。
時・場所・年齢、世の評判などで大は自分に近い者を妬む。
競争相手や恋敵、一般に同じものを欲しがる者と人々は競う。
そのため彼らに対し必ず嫉妬心を覚える。
社会の底辺に置かれた者が肯定的アイデンティティを持てるかどうかは社会資源の分配量だけでは決まらない。
封建社会においては出生の違いにより身分が固定されました。
しかし同時に、下層の人間は上層の人間との比較を免れるため、近代社会に比べて羨望に悩まされにくいのです。

伝統なんて大概が後付け

ちゃんと調べてみると、意外と歴史が浅かったりする。
例えば現在のような形式の初詣って明治中期頃に始まった、という話もある。
古来からの伝統なんかではない。

太古から続く伝統などというものは、たいていが後の時代になって脚色された虚構です。
実際に生じた変化、そして共存する多様性が忘却されるおかげで、民族同一性の連続が錯覚されるのです。

民族同一性の連続を錯覚させるための後付けの虚構だったりするわけだよね。
これも、伝統という原因なんじゃなくて、結果として伝統という認知処理が生まれてきている感じ。

それでも人は生きていくわけです

「私」という存在のわけわからなさがあったとしても、
人は生きていかなくてはいけない。
逆に言えば、そういう不確かな存在にすぎないんだから、
もっと気楽に考えてもいいのかもしれない。

著者のこの最後の言葉には非常に共感。

「理由はわからないが、やりたいからやる。」

それで良いんだと思う。

確かに迷いは誰にもあります。
私などは今でも迷ってばかりです。
しかし文科系の学問なんてどうせ役に立だないと割り切って、自分かやりたいかどうか、それしかできないかどうかだけ考えればよいのだと思います。
落語家もダンサーも画家も手品師もスポーツ選手もみな同じです。
やりたいからやる。
親や周囲に反対されてもやる。
罵られても殴られても続ける。
才能なんて関係ありません。
やらずにはいられない。
他にやることがない。
だからやる。
ただ、それだけのことです。
研究者も同じではありませんか。
死ぬ気で頑張れと言うのではありません。
遊びでいい。
人生なんて、どうせ暇つぶしです。
理由はわからないが、やりたいからやる。

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)

デザインよくわからん、と思っている人こそ読むべき。 水野学/ 「売る」から、「売れる」へ。 水野学のブランディングデザイン講義

「相鉄」「中川政七商店」「くまモン」「茅乃舎」「東京ミッドタウン」などで
コンサルタントとしても活躍している著者の慶応義塾大学の人気講義を書籍化したのが本作。

デザイン思考など、ビジネスの世界でも何かとデザインという考え方が
注目されるようになってきた昨今ではありますが、デザインはよくわからないという人も多いはず。

そういう人にこそおすすめ。


とかくデザインとなるとセンスの問題のように扱われがちで、
センスと言われるとイマイチどうして良いのかわからなくなる。

ぼくの経験からいうと、デザインの使い方をまちがえるときはだいたい、この「機能デザイン」と「装飾デザイン」の2つを混同していることが多い。
たとえば、みなさんが学習塾に勤めたとして、生徒募集のチラシをつくろうとするときに、「どんな色にしようか」なんて話を真っ先にしているようでは、まずいいチラシにはなりません。
なぜなら、論点がぼやけているから。
やっぱりチラシにも、伝えたいことを伝わりやすくする「機能デザイン」と、魅力的に見せる「装飾デザイン」の両方があります。
その2つはきちんと分けて考えないと、とても美しいのだけど伝えたいことが伝わらないものになったり、伝えたいことはわかるのだけど魅力がないものになったりして、チラシとして”機能”するものになりづらいんです。

混同というより、デザイン=装飾デザイン、という勘違いをしている人も多いように思う。
デザインってもっと広義の言葉。

デザイン系の本だと、『誰のためのデザイン』がすこぶる面白かったな。

digima.hatenablog.jp

それともう学生の頃に読んでた本だけど、原研哉さんの著作もとても面白い。

デザインのデザイン

デザインのデザイン

『デザインのデザイン』が面白かった記憶だけ残ってる。
今見たら、相当たくさん書いてるのね。

それとセンスってのはそんな先天的なものではなく、
知識によって乗り越えていける後天的なもの、というのが水野さんの主張。

これって確かにそうだと思っていて、
ビジネスの知識同様、自分で学び、磨き上げていけるもののはず。
まぁ、なんでもそうだけど、先天的な才能のせいにするのは努力の放棄に他ならないわけで、
スポーツ選手や芸術家ならさておき、大抵のことは努力で一定のレベルにまでは達するはず。

デザインなんてのも、自分でデザインできなくたって、
良し悪しの判断をするくらいまでは誰でも努力すればできる範囲なんだと思う。


本書の中では水野さん本人のプレゼン資料も見られる。
このプレゼン資料がなんともわかりやすい。

広告系の人ってこういう紙芝居系のプレゼンするイメージだったけど、
本当に上手だなぁ、と感心します。

有りそうでなかったポイント制度を俯瞰して語る本。 岡田祐子/成功するポイントサービス

著者は日本で唯一のポイントサービスのコンサルティングなどの支援を行う企業の社長。

ポイントサービスは世の中に浸透し、ポイントサービスだけで簡単に差別化できる時代は終わっている。
多くの企業がポイント制度を設けている中で、改めてポイントの意味や
消費者がどのようにポイント制度を受け止めているのかという消費者視点でのポイントの価値などを
整理してくれる良書。

成功するポイントサービス

成功するポイントサービス

刊行年は結構昔なのだけど、本書で語られていることは今なお有効と感じた。
逆にどこでもなんかしらのポイントが貯まるポイントカード乱発のご時世だからこそ、
自社のためにポイント制度ってどうあるべきなんだっけ?という基本に立ち返るのは、
多くの企業にとっても有意義なのではないか。

1ポイント=1円という値引きだけではないポイントの価値を出していくことなどは、
まだまだ可能性があるように感じる。

個人的には、少額のポイントで非売品の抽選応募できる、というスキームが面白かった。
これなら、魅力的なグッズを用意するコストもまかなえそうな気がする。

非金銭的な価値の出し方の領域は企画と工夫次第で可能性がありそうなので
なんかうまいこと考えたいなぁ。

最近の事例を盛り込んだ大幅加筆版とか出して欲しい。
そもそもポイントサービスを俯瞰してみる本とか意外と無いんだよね。
もっともっとあって良いはずなんだけど。

成功するポイントサービス

成功するポイントサービス

結果を出している超有能マーケターの入門書。すごい人だ! 森岡毅/USJを劇的に変えた、たった1つの考え方

USJの業績をV字回復させた仕掛け人、それがCMOの森岡氏。
P&Gのマーケターがマーケティングの大切さやその思考法の重要性を、
自身の体験を踏まえてまとめたのが本書。

自身の体験に根ざしているところがリアリティがあり、
アカデミックな理論をまとめただけの教科書とは一線を画している。

別に教科書が悪いという話ではなくて、森岡さんもそういった理論もたくさん学んで、実践し、
失敗も成功も繰り返してきたんだろうな、というのはこの本を読むとよくわかる。
その上で、今ご自身の血肉となっているエッセンスをまとめて書いたのだろうと思うので、
そこに書かれていることは実に凝縮された純度の高いものが揃っている。

これがもう、実務家としては絶対に避けて通れない王道って感じではあるのだが、
その王道をしっかりと抑えている人というのは稀なのだとも思う。

正直、自分にはまだまだできていないことが多すぎると痛感し、凹んだりもするのだが、
裏を返せばまだまだできることは多いということでもある。
少なくとも森岡さんのように信念を持って語れることを自分の中にも増やしていこうとは思った。

その為には理論の復習や定着も必要なんだろうし、もっと高速に思考と試行を繰り返さないといけないとも感じる。



パーチェス・フローと各ドライバー

パーチェス・フローというのは消費者が認知してから購入し、
さらに再購入に達していく、購入に至る流れのこと。

ターゲットとなる消費者の母数に対しての認知率や購入率のかけあわせで考え、
それぞれのドライバーがどの程度の数字を目指せるのかを考える。
上昇させやすく、インパクトの高い数字はどこか、
そこに資源を集中させるという意味でも自覚しておくことが必要。


経営資源はいつも足りない

選択と集中。言葉は誰でも知っているくらいだけど、真の意味でこれを考えられる人は少ないということ。
この言葉って都合よく飛び交っていることが多い気がする。
森岡さんが言う「選ぶことで足りるようにする」というのがとてもわかりやすい。
それを選んだことで何が足りて、可能になるのか。
それは何のために?というまさに「目的」が明確じゃないといけない。

余談だけど、本書に書いてあった日本語の「目標」という言葉はTargetとGoal、
両方の意味があるから要注意というお話が結構なるほどって感じでした。

経営資源は常に足りないのです。私がUSJに入ったときも足りなかったですが、V字回復した今も足りません。もちろん使える絶対額は大きくなっていますが、図体が大きくなってくると必要な出費もどんどんかさんでくるわけです。
経営資源が足りない中で目的を達成するためには、限られた貴重な経営資源をどれだけ無駄なく有効に使うのか、考えて考え抜くことが必要になります。考え抜いて選ぶのです。選ぶことで足りるようにするのです。その選択こそが戦略です。
P.98

意思決定プロセス

MBAで経営者の仕事は意思決定と教わり、自分の会社には経営者不在だな、と思っていたのだけど、
そんな会社は割とたくさんあるというか、日本の企業の体質なのですね。

それでも普通の会社はもう少しちゃんとしているもんだと思っていたけど・・・。

根回し前提の企画は中地半端なものになる必然がある。
関係各所の合意が取りやすい八方美人な企画になりがちで、
そこには消費者主導の視点は無いから。

上司や他部署の顔色うかがって企画考えてもしょうがないって話だね。

大手日本企業で働く関係者達が異口同音に言っていますが、会社の重要な意思決定に関して、誰がどこで決めているのかよくわからないそうです。社長や会長が決めているのではないの?と突っ込むと、最終的にはトップが承認した形はとるけれども、実際には幹部やその下だけでなく横も含めたコンセンサスを整えた後の稟議をトップが追認するケースが多いとのこと。
P.191

本書でも触れられている新刊が

この本が出た当時次に出る予定の本として紹介されていた
より具体的な手法を紹介する本が先日発売された。

数学といわれると少し尻込みしてしまうのだけど、
そんなこと言ってると時代に取り残されそうなので、
ちゃんと学びたい。


人工知能やビッグデータと言われるものたちに関する現状把握としては最適! 松尾豊/人工知能は人間を越えるか

人工知能の研究の第一線で活躍する著者が、
現在の人工知能ブームを整理してくれる良書。


ブームはこれまでにもあり、現在のブームは3回目のブームに当たるらしい。
これまでのブームの変遷を見ながら、今回のブームを解説。
世間よりも地に足の着いた冷静な視点で語られている印象。

著者自身も不遇の時代があったようで、
一過性のブームに浮き足立つような人ではないのだろう。

ざっくり言うと、第1次AIブームは推論・探索の時代、第2次AIブームは知識の時代、第3次AIブームは機械学習と特徴表現学習の時代であるが、もっと厳密に言うと、この3つはお互いに重なり合っている。
たとえば、第2次ブームの主役である知識表現も、第3次ブームの主役である機械学習も、本質的な技術の提案は、第1次ブームのときにすでに起こっているし、逆に、第1次ブームで主役だった推論や探索も、第2次ブームで主役だった知識表現も、いまでも重要な研究として脈々と継続されている。

数式などの難しい話は抜きにして、これまでと、これからの話をしてくれているので、
人工知能ビッグデータと言われるものたちに関する現状把握としては最適。

マネージャークラスが読むにはぴったりなのでは。

具体的なケースと理論がセットで語られるので腑に落ちる! 大島洋/管理職の心得

具体的なケースを引き合いに出しながら、
リーダーシップに関する理論を解説してくれる良書。

読んでいて「あー、こういうことあるな」と感じるので
それだけ話が腑に落ちているということなのだろう。


管理職の心得―リーダーシップを立体的に鍛える

管理職の心得―リーダーシップを立体的に鍛える


そもそも管理職とは

管理職の職務は、その職位に共通した大きな特徴を持っている。ひとつは、経営

者側の立場で活動することを前提に権限と責任が付与され、企業全体の成果創出

を目指す行動が求められるという点だ。すなわち、自分の所属する組織やチーム

のことだけではなく、企業全体の最適解について考えることが要求されている。

もうひとつは、個人としてではなく自らが率いる組織あるいはチームとして成果

を出すために、部下の活動への関与が求められているという点だ。つまり、管理

職は、自分のことだけでなく、部下のことも考えなければならない。
P.6 - P.7

至極まともな、普通のことなのだけど、
非常に簡潔に言い表していてわかりやすかった。
あぁ、こうやって説明してあげれば良いんだね、と。


万能なリーダーシップは存在しない

求められるリーダーシップのあり方は、取り巻く状況抜きには語れない。言い換

えれば、いかなる状況においても有効で万能なリーダーシップは存在しないのだ

。企業組織の管理職が有効なリーダーシップをとるためには、第三の要素である

状況を的確に認識し、それが自分およびメンバーに与える影響を把握しておくこ

とが必要だ。
P.43

リーダーとフォロワーの関係は状況によって変化する。
リーダーってのは適切な状況把握がないと適切な振る舞いは
できないってことだな。


グループとチームの違い!

グループは各メンバーの成果の総和がグループ全体の成果であることを前提とし

ているのに対し、チームは各メンバーの成果の総和を超える成果をチーム全体で

出すことを前提としている。したがって、通常、管理職としてグループを率いる

場合には、グループ全体の仕事を個人ごとに分解して割り当て、各々のメンバー

が出した成果をまとめることによって、グループ全体の成果を生み出すことにな

る。
 一方、チームを率いる場合には、チーム全体の仕事は必ずしもすべてが明確に

分解されないままメンバーに共有され、流動的な役割分担とメンバー同士の相互

作用の中で新たな価値を生み出すことを目指す。
P.175 - P.176

今までグループとチームの違いを意識したことが無かったので、
この定義は明快でなるほど、と思った。


信じることは大切

人には潜在能力があり、リーダーが予期しない高い成果を組織メンバーが出す可

能性を認めることだ。すなわち、自分の想定を逸脱した個人の自由な活動を許容

し、メンバーひとりひとりに潜んだ力を引き出し、同時にメンバー間の相互作用

を通じた相乗効果を生み出すことにより、組織能力発揮の最大化を目指すことが

必要だ。
P.217

これはきっとその通りなのだと思うけど、
ちゃんと実践するのって凄く難しいことなんだろうな、とも思う。

管理職の心得―リーダーシップを立体的に鍛える

管理職の心得―リーダーシップを立体的に鍛える

こういう本を待っていた! 実務家には事例に沿って話してもらうのが一番理解しやすい。朝野熙彦/マーケティング・サイエンスのトップランナーたち~統計的予測とその実践事例

実際にビジネスの現場で行われている分析を事例として、紹介している新著。
こういうのって、実務家には何よりも具体的な分析事例に沿って
話してもらうのが一番しっくりくる。

というわけで、こういう本を待っていたし、
こんなノリの本がどんどん出てくると実務家としては大変有意義。

マーケティング・サイエンスのトップランナーたち~統計的予測とその実践事例

マーケティング・サイエンスのトップランナーたち~統計的予測とその実践事例


非階層クラスター分析

ここで語られているように実現可能な施策の数以上に細かくセグメントを切るのはあまり意味がない。
デジタルマーケの世界では使いやすいマーケティング・オートメーションツールCCPMとかAimstar)とかが
出てきているので、うまく組み合わせると従来以上に細やかなセグメントを切って、
施策を自動で打ち分けするなんてことも可能になってくるだろう。

非階層クラスター分析は、階層的な構造を持たず、あらかじめいくつのクラスターに分けるかを決め、決めた数の塊(排他的部分集合)にサンプルを分割する方法だ。階層クラスター分析と違い、サンプル数が大きいビッグデータを分析するときに適している。ただし、先に述べた「最適クラスター数を決める基準がない」という問題がある。効率的なCRMの施策のためにクラスタリングをする場合は、マーケティング課題に合わせて分析者が決めるのがよい。例えば、考えられる施策が10しかないのに、15に細分化する意味はない。
P.37

で、非階層クラスター分析の時の注意。
これ、自分たちは主に購買データを分析しているので、要注意。

すべてのデータが完璧に5段階評価で埋まったアンケートデータを用いたクラスター分析なら、それで良いことも多い。しかし、購買データのような非常にスパース(疎)なデータや、買った、買わないなどの2値データを用いて分析を行う場合は、距離の公理を満たさない類似度を用いることも必要であり、それを知らずに分析を進めても良い結果が得られないことが多いので、注意が必要である。
P.48

分析とは

数字が増えました、減りました、って報告だけじゃ分析じゃないのよね。
そういうのただの集計だからってことだ。

考えるべきは有意に増加したか否かではなく、その変数が母集団において増加したということが、どういう「意味」をもつのかということである。つまり「平均で0.22増加した」という結果が、「消費者の購買行動のどういう変化を意味するのか」を理解し、次に「その変化はマーケティングにどのような示唆をもたらすのか」を考えることが分析である。
P.99

PSM分析

価格受容性の分析、先日ちょうどこの話が出ていたので気になった。
こういうのも知ってるのと知らないので雲泥の差だよな。
時にそれだけの差が、大きな差になってしまうことが実務だと多い気がする。
だから、無知は罪になってくるんだよなぁ。


時系列データの分析

時系列データは、通常4つの変動要因があるらしい。
傾向変動、循環変動、季節変動、不規則変動の4つ。
この4つの要素に分解した上で、組み合わせ方には加法モデルと乗法モデルの2種類があるらしい。
これはそのまますぐに参考にできる気がする。

予測方法に関してもEPA法という経済企画庁で開発された手法があるなんて初めて知った。
これも試してみたい!


そういえば以前読んだ多変量解析の入門書も朝野さんでした。

digima.hatenablog.jp

初心者なので毎回学びがあります。


マーケティング・サイエンスのトップランナーたち~統計的予測とその実践事例

マーケティング・サイエンスのトップランナーたち~統計的予測とその実践事例