学びや思いつきを記録する、超要約ノート

国内MBA2013年入学、2015年無事卒業!読んだ本、記事、などの読書ノート。 忘れないために超要約整理。そんな記録。

乱売の抑制と価格統制がメーカーによる流通系列化のきっかけ。 石原武政、矢作敏行/日本の流通100年

あまり流通業のことは知らなかったので、とにかく概観を掴もうと思って
見つけた本がこれ。電器、食品、衣料、製薬などの業界ごとに、
卸がどのように変化していったかをまとめた本。
自分の狙いにはピッタリの1冊で、大まかな流れは把握することができた。
戦前の話は古すぎて現実感のないところもあるが、
あくまでもそこを経て今がある、という流れを抑えておいても損はしないかと。
知らない分野は学びが多くて面白い。
そしてやっぱり知らないことは早く読めない、という法則を実感した1冊。

メモったところが多すぎるので、本書の構成通りに1部と2部を分ける。
1部は加工食品、化粧品・医薬品、家電、衣料品の4業界の流通の歴史。

日本の流通100年

日本の流通100年


卸は非効率なのか?

日本の卸売業は伝統的に多段階構造を形成するところに特徴があるとされ,国際的に見ても卸売業の強さは群を抜いていると評価されてきた。このこと白身はけっして日本流通の非効率性を証明するものではなく、かえって卸売業がメー力ーにとっての市場開拓の役割を担つてきたことの証であると考えるべきかもしれない。
P.1-P.2

卸=悪では絶対にない。
多段階卸によって日本全国津々浦々への流通網が配備されたと考えるべき。
それはメーカーだけで構築できるものではない。


加工食品業界の流通

こうして森永製菜は信厚会との絶縁を契機に,さらに強力に全国的な専属特約店網づくりを進めていった。すなわち森永製菓は束京市内に新たな専属特約店を設けるとともに,それまで信厚会メンバーが販売地域としていた東京市外(東京近県および東北・北海道方面)の卸売店との直接取引を専属特約店方式で進めていったのであった(1919 年には北海道でも特約店会「北森会」が組織されている)。ちなみに当時の専属特約店取引契約書には,①類似品の取扱い禁止,②森永全製品の取扱い義務,③卸売建値の遵守,④販売地域の指定,⑤割戻金の支払条件などの条項が盛られていた(森永製菓[2000] 84 頁)。
P.21

もちろん戦前の時代の話。独禁法無いから、結構やりたい放題の条件付けられるという印象。

以上,森永製菓によるチャネル構築の過程を簡単にみてきたが,同社のチャネル政策に認められる1つの特徴は,専属特約店の店会組織化かその主軸をなしていたという点である。その後,この店会組織メンバーの共同出資によって販社が設立されていくことになるが,販社設立という点を別にしていえば,卸売特約店会の組織化を主軸とするチャネル・システムの構築過程は次に考察する昧の素にもみられるところであり,当時,こうした卸売特約店会の組織化は新興メーカーに特徴的なチャネル政策であったということができる。
P.22

専属特約店→店会組織→販社という流れ。
メーカー側は乱売を防ぎたい、つまり価格統制がしたいので
なるべく流通をコントロール下に置きたいのだな。

味の素が松下商店を名実ともに関西以西地域(および北陸地方)の総代理店とするのは1916 年のことであった。それは松下商店による「昧の素」の販売活動が昧の素の期待以上に積極的であったからであるが,この時に結ばれた総代理店契約には次のような条項が盛り込まれていた。①味の素が新製品を出した場合,その製品が松下商店に不向きでない場合には必ず協議し,取扱いが決まれば松下商店に一手販売権を与える,②松下商店が味の素製品の販売を引き受けたときは,その製品と同一目的の商品は扱わない(昧の素[1971] 94-95 頁)。さて,こうした総代理店制の下で,本格的なチャネル整備が開始されるのは1920 年代初頭のことであった。その契機となったのは,松下商店傘下の卸売店(昧の素からいえば二次卸売店=副特約店)による「味の素」の乱売であった。こうした乱売現象は1918 年頃から発生し始めていたが,20 年の戦後恐慌以降ますます拡大していった。昧の素によるチャネル統制の強化は,こうした副特約店による乱売をいかに抑止するかというところから始まった。
P.23

乱売の抑制は多くの業界でメーカーが流通をコントロールする目的になっている。
いかに販売価格をコントロールすることが難しく、重要かを物語っている。
そして再販制度ってのがいかに異常な制度かもよくわかった。

1927 年頃から結成され始める「味の素会」は,味の素白身の「働きかけ」によって組織されていったものであった。その第一義的な目的は,副特約店間の価格競争(乱売)を防止することにあった。
すなわち,味の素会は「会員たる販売店相互問の親睦を旨とし,協調して『味の素』の販売を行ない,相互の利益の増進を図ることを目的に,かつ類似の調味料を取扱わないこと」を申し合わせたのであり,それは「実質的には自治的な価格協定や販売競争調整の組織として機能した」
P.24

まぁこういうことが許されていたら、全力でここに注力するだろうな。
そして一度確立してしまうと新規参入はとても難しいものになるだろうことは容易に予想がつく。

そして価格統制に関しても、その設備投資のあり方によって全く違う考え方が出てきたのがビール業界。

「思い切った値下げをして,販売量をふやし,設備の遊休化を防ぐのが有利か,それとも,値を下げるくらいなら遊休化させたほうが有利か,それは各社の事情によって異なった。
新鋭工場を建設した直後の日本麦酒鉱泉がえらんだのは前者,減価償却で固定資産が相対的に低くなっていた大日本麦酒麒麟麦酒がえらんだのは後者の道」(麒麟麦酒[1969] 373 頁)であった。
P.30

で、戦前の流れをまとめるとこういうこと。↓

4つの業界についての考察から得られる1つの認識は,戦前(戦同期)のメーカーのチャネル政策はメーカー建値(二次卸売店を含む卸売特約店の販売価格)をいかに維持するかという問題を軸に展開され,そうしたチャネル政策を通じてメーカー主導型流通チャネルが形成されていったということである。第一次世界大戦期の好況を背景に生産設備の拡大を進め,量産体制を整えるに至ったメーカーにとって, 1920 年代以降の不況期において安定した販売量を確保し,同時に販売代金を短期・確実に回収することは緊要の課題であった。
P.31

そして戦争へ。戦時配給制度は戦前の流通を破壊したという見方があるが、実態はそうじゃない。

戦時統制は既存のチャネル・システムを完全に否定したわけではなく,むしろ業界・メーカーによっては既存のチャネル・システムがベースとなって戦時の配給統制機構が編成されたのであった。さらにいえば,風呂[1995 ]が指摘しているように「昭和戦時の場合,製造消費財の分野では,配給統制組合は業種単位であったとはいえ,実際の配給業務はそれぞれのメーカーの特約店組織が遂行するという場合が大半であったから,販売店にとっては,特約店組織への参加が『物資取扱権』の取得そのものであった」(21 頁)とすれば,戦時の「不足市場」の中でメーカーと旧特約店との結びつきはかえって強められたということもできるであろう。こうした点で,戦時流通統制はけっして戦前のチャネル・システムを破壊し去ったのではなく,戦後流通の基盤となりうるものを保存していたとみることができるのである。
P.35

この辺の指摘はすごく面白い。配給制度は既存の流通によって成立していた。
そして戦後、メーカーによる特約店の扱いが平等から能力主義に変化していく。

こうした特約店・副特約店の遂行機能についての評価をベースとするリベート制度,そしてそれを主軸とした特約店制度の連用様式は,戦前および戦後初期における特約店制度の運用様式とは明らかに異なるものであった。すなわち,戦前および戦後初期の運用様式が「味の素会」メンバーを一律に処遇し,店会メンバーに一定の利益を保証する形のいわば平等主義的な運用様式であったとすれば,戦後のこの時点での連用様式はいわば能力主義的なそれであった。それは見方を変えていえば,メーカーにとって店会組織の存在意義が薄らいでいたということでもあった。
P.40

しかし、この実績に応じたリベートという能力主義には落とし穴がある。
小売りの再編や、上位集中度が高まっていくと、市場が伸びなくても、
リベートの支払いが増えるという事態が起きてしまう!
再編による上位集中が及ぼす影響がこんな形でも出てくることを学んだ。

仕入・物流体制の効率化を目指す大手小売チェーン企業は1980 年代半ば以降,その一環として仕入先卸売企業の集約・絞り込みを図っていったが,このことはメーカーにとっては,売上高上位の大手特約店との取引額が増大していくという傾向を加速することになった。そして,こうした特約店の上位集中化傾向は,累進制の契約達成リベート(数量リベート)が用意されているもとでは,特約店向けのリベート支出が売上高全体の増加率以上に増大していく,あるいは全体の売上高が伸びなくてもリベート支出だけが増大していく,という結果をもたらすことになった。
P.43

化粧品流通

化粧品、医薬品は昔から競争の激しい業界だった。

明治末期から(大正時代を含めて)昭和初期にかけて,売薬,化粧品,図書の広告主が広告御三家といわれ,活発な新聞掲載が行われた。このうち常に首位にあったのは売薬であるが, 1912 (明治45 )年から18 (大正7 )年の7年問ほどは化粧品広告の絶対量の仲びが売薬のそれを上回って第1位になっている。このことは,化粧品の販売競争がきわめて激しかったことを物語っている。
P.58

そして化粧品には大きく3つの種類があった。

第二次世界大戦後の化粧品産業では,その販売体制は,制度品,一般品,訪販品の3つのメーカー(流通システム)方式により行われてきた。制度品メーカーとは,自社系列の販売会社をもち,あるいは特定の卸売業者を代理店として,さらにはチェーン契約をした小売店に商品流通するものである。もともとはチェーン・システムを語源として「制度」と称したものとされる(さらに再販売価格維持制度の導入との二重の意味がある)。いわゆる「閉鎖的チャネル政策」により自社商品を流通させるメーカーのことである。これに対して,一般品メーカーとは,一般の卸売業者,卸売機構を通じて原則として不特定の小売店へ商品流通するものである。いわゆる「開放的チャネル政策」によるメーカーのことである。さらに,訪販品メーカーとは,自社の訪問販売員を通じて,顧客先への直接的な販売を図るメーカーのことである。
P.58-P.59

この本を読んでいてしみじみと感じることだが、
いち早く流通をコントロール下に置いた企業がどの業界でも成長し、
今日に至るまで生き残っている。
化粧品業界で言えば、その代表格が資生堂であり、
実際に資生堂が制度品流通のモデルを作り上げ、他社はそれに追随した。

化粧品産業の宿弊であった乱売に対する解決の糸口は,図らずも1923 (大正12)年9月に起きた関東大震災であった。東京を本拠とするメーカーの罹災から,品不足となって売手市場を招来したことも手伝って,各社とも業界立て直しの千載一遇の好機ととらえて価格矯正の姿勢を打ち出した。
大手のクラブ,レートは4)乱売を正すべく広告を行っている。
ところが資生堂,少し遅れて高橋東洋堂(後のコーセー)の場合は,より革新的な方法を導入しようとした。すなわち資生堂の場合は,流通チャネルの変革を進め, 1923 年12 月,「資生堂化粧品連鎖店」(チェンストアー)制度を発表した。その計画,実施はわが国の「チェイン組織の先覚者」とされる松本昇によるもので,乱売の弊が極まり小売段階の疲弊衰弱,さらにそれが卸売段階(問屋),メーカー・レベルにまで及ぶことを避ける手段として,小売店のボランタリー・チェーン化を図ったのである。
P.62

やはり悩みの種は乱売であり、関東大震災が一つの契機になったというのは興味深い。
まさにスクラップ&ビルド。


医薬品流通の話。

第二次世界大戦前までは,「メーカー→問屋→地方卸売商→病院・医院や小売薬局・薬店→消費者」と一般的にして継起的な流通をしてきたのであり,全国的な売り捌きも強い販売力をもつ薬種問屋を中心に行われるという伝統的問屋制度を築いてきた。
いうまでもなく,医薬品流通は,その生産および消費と密接な関連をもっている。医薬品そのものの生産集中度の低さ,多品種少量生産という特徴をもち,他方で健康体ならば本来購入不要な商品であり,そのために結局その流通はリスクを負担する卸売商(問屋)に依存せざるをえない,という伝統を培ってきたといえる。
P.70

生産集中度の低さとか多品種少量生産とかはいまいちピンとこない。
今は上位集中度が高まっている気がするからかな。

戦後の医薬品流通はこんな感じらしい。↓

すなわち,第1は全体のおよそ85 %を扱うという最も一般的な形態で,いわゆる新薬メーカーが卸問屋を経由して流通させるという特約店型の販売ルート<メーカー→特約店(一次問屋)→二次問屋→月ヽ売薬局・薬店や病院・診療所→消費者〉,第2は独自の販売網をもたないメーカーが,強力広範な販売網をもつ他のメーカーに版売を任せるという,いわば他力本願型のルート<メーカー→メーカー〉,第3は全体の10 %を占める主として大衆向け医薬品メーカーによるもので,卸問屋など一切の中間業者を排して小売薬局・薬店に直結販売するチェーン型の販売ルート<メーカー→小売薬局・薬店〉である。第3のメーカーはこれゆえにチェーン・メーカーと称される。なお,第2のルートは中小メーカーのとる方式であり,他力本願という消極的な方式のため第1と第3の狭間で埋没せざるをえないように思われるが,実際は第1あるいは第3の流通方式をとる大手メーカーに委託販売が可能であり,それなりに存続できる。
P.73

でもいまいちMRと流通の絡みがよく分からん。病院への流通はどうなってるんだろ。
MRは先生への営業を繰り返すわけだけど、流通は卸が入ってるんだよね。
流通側から先生へのレコメンドって無いんかな。
流通を味方につけた方が強いとかってことが起きないのだろうか??
今度業界の人に聞いてみよう。

医薬品産業は,戦後一貰して高度成長を続けてきたが,その実は過当競争ないしは乱売につぐ乱売の歴史でもあった。その原囚は量産体制の確立(生産拡大)に見合った量販体制が未整備であったことにあった。すなわち,市場・流通の拡大が同時進行しなかったためである。
P.75

そしてここでも出ました、乱売問題。
結局、後でまた出てくると思うけど、大量生産体制に対して、
大量流通が整備されていないと、市場成長よりも生産が過剰になって
乱売状態を引き起こしてしまう。
まさに流通の進化が市場を作ってきた、という時代があったのだな。
今はもうあらゆる流通網が当たり前のように感じられるけれど。
そしてその流通のネットワークは多段階の卸で形成されたもの。
それは単純に無駄を生む悪として捉えるのは間違ってる。
でも、一度形成されたネットワークをいかに効率化していくかは重要な命題なので、
そこで生き残れなかった卸は、それもまた致し方なしなんだと思う。

さて、そんな中、自ら小売店を直接巻き込んだやり方で成功したのが大正製薬

1928 年にはその方法として特約株主制度を取り入れ,任意連鎖店とのつながりを強固なものとした。特約株主制度は,大正製薬の株式会社への移行に関連して,その株式を取引先(小売店)に買ってもらうという,いわゆる持株制度である。これにより小売店ぱ“特約株主”としてさまざまな恩典を受けるのみならず,メーカーとしても一体的経営を推進できることになる。この組織が大正チェーン(当初は共生会なる名称)であリ, 1936 年には会員数は3234 軒に土っており,他の医薬品メーカーにない問屋排除による小売直結の販売網として,すでに戦前に構築しえた。このことが同社の戦後の飛躍につながったことはいうまでもない。
P.80

これを戦前に構築ってのもすごい話。
しかも株を持たせるっていう巻き込み方もなるほどって感じ。


家電流通

家電業界と言えば今なお乱売問題に苦しめられているように感じる業界。
しかしそうしたディスカウンターたちを生んでしまった契機が、
流通系列化、価格統制の志向そのものだという皮肉。

大手メーカーの流通系列化政策の意思が強ければ強いほど,それに対抗しようと低価格を武器とする家電流通の新たな担い手が登場する余地をつくってしまったのである。高度成長期の家電流通のアウトサイダーとして低価格と豊富な品揃えで消費者の支持を集めてきた家電量販店も,過激なほどの価格戦略を駆使している昨今の家電ディスカウント・ストアも,その由来を辿れば,流通系列化の中でその生成と躍進の契機をつかみとっている。
P.92

この業界の流通を語る上で松下電器は外せない。
ナショナル・パナソニックのお店こそまさに系列化された流通。

松下電器が,当時の流通経路の覇者である卸商が現状維持の非常に保守的な経営手法をとっており新たな市場開拓が容易ではなかったことを痛感し,結果的に卸商に頼り切るのではなく卸商を選別できる代理店制を採用する経路戦略をとるべきだということを早くから体得していた
P.97

戦後の家電業界の流れは・・・

戦後当初の家電業界の様相を要約すると,以下のようになる。①戦前の大メーカーにおいては財閥解体あるいは労働争議などにより生産体制の整備が進まず,このため数多くの零細企業の新規参入が続き,メーカー乱立の状況が続いていた。②しばらく家電製品は配給制となっていたため,流通面では生産面ほどの混乱はなかった。③供給絶対量が不足気味で,生産のほとんどが各地の零細メーカーによって行われたために製品の集配や顧客への供給は容易ではなかった。このような状況では卸商が各地に散在するメーカーから製品を集荷し,小売商に販売する形態がとられるが,その点で卸商は製品の流通に欠くことのできない重要な存在になっていた
P.101-P.102

この辺は別に普通の話なのだが、
家電業界は価格統制に関して若干やりすぎてしまったのかもしれない。

明白なメーカー間の価格維持政策について公取委は, 1964 年以来,専務取締役で構成されている「パレス会」およびテレビ担当の営業部長級で構成されている「十日会」が存在し,それぞれが月1回開かれ,出荷制限・出荷期日の統一,価格協定・「ヤミ再販」による価格安定を図った疑いがあるとして,立入り検査を行い,この談合行為の破棄勧告を言い渡した。いわゆる「ヤミ・カルテル事件」である。大手6社は勧告を受け入れたが,そこで明らかになった価格安定のために行われた談合行為は,驚くべきものであった。たとえば,小売現金正価を各タイプ別に定めた上で,小売マージンの上限として20 %を設定し,さらに卸マージンおよびリベートについても最高4 ~8 %以内に据え置くことを申し合わせ,実施していた
P.115

まぁ、さすがに業界あげて競争回避しているように見える。
消費者としても騙された感は強かっただろうな。
家電って、決して安くないし。

間もなく家電製品の総売上高における量販店と系列小売商の地位が逆転したことが判明する中で,家電メーカーにとっても,対量販店戦略を長期的パートナーシップ関係として認識せざるをえなくなってきた(尾崎[1991])。
P.121

結局、売上あげるところは無視できない。
最初は煙たがっていても、売るやつらには抗えないのがメーカー。
Amazonにペコペコしなくちゃいけない状況もまさに彼らが販売力を持っているから。
ZOZOにペコペコしなくちゃいけないのも同じ。
どちらも苦々しく思われてはいるだろうから、販売力なくなった途端に
総スカンになる可能性はあって、どこかでそういう展開を祈ってる人たちが一定数いる。
で、たまにそういう転落劇が起きたりするから世の中面白いわけだが、
Amazon、ZOZOはもうしばし栄華が続きそうね。

そして92年に、またもやヤミ再販が発覚。

既述の1960 年代のヤミ再販とは価格を維持しようとする意図があった点では同じであるが,明らかに異なるのは,自前の系列店への価格拘束ではなく,建前上では系列外の量販店への価格維持行為であるという点である。なぜ,大手メーカーの販社が,量販店に値引き価格を指定し,量販店はそれに従ったのか。それには2つの意図が透けて見える。1つは自前の系列小売商を守る意図と,もう1つは有力な販売ルートになりつつあった量販店をメーカーの支配下に置きたいという意図である。
P.122

やはりこの業界は他と違って、かなりブラックな価格統制を実施していた。
でもだから成立していたのかもしれないね。
結局それなしでやった結果が今の価格崩壊、大赤字っていう面もあるのかもしれない。


衣料品流通

最近だと、ユニクロなどのSPA業態、すなわち製造小売りが注目されているが、
そもそもアパレル企業は製造卸売企業として成長してきた。
たしかに製造と卸の機能を持ってる、これってそれなりにユニークなことなんだと気づいた。

戦後復興期当初は必ずしも,製造卸売業者の規模は大きくなく弱小であった。では,企業規模の点で,川上の合繊・紡績メーカーや川下の百貨店と比較して小さかった製造卸が,何ゆえアパレル産業の中核に位置するようになったのであろうか。
その理由として,①商品開発力の充実,②小売過程に関与し,小売販売リスクの管理と消費者情報の吸収を行ったこと,③自社のブランドで直接消費者との関係を構築していったことを挙げることができる。
P.153

そして今や古臭いやり方に見える者もその当初はイノベーションであり、
それによって成長した経緯を持つ。
だからこそ過去の成功にとらわれて身動きできなくなってしまうのだろう。
それは百貨店の委託販売、販売員派遣制度の話。
でもこれは樫山の方から仕掛けた話のようだ。
ちょっとこれを知って委託販売制度の見方が変わった。

まず第1に,百貨店の売場をめぐる納入業者間の競争をふまえて,樫山が委託取引を制度として採用することで,売場への追加的な商品投入を機動的に行い,そのことで売上と利益を仲ばそうとしたことである。売上増大は,百貨店にとって単位面積当たりの粗利益を高め,その結果,納入業者問の競争に有利に作用し,樫山はより多くの売場を確保することにつながる。販売員の派遣と委託取引は,納入業者側に過大な資金負担を課す。この資金負担に耐えられる納入業者は限られてくる。その意味で納入業者間の競争に勝利し,より広い売場を都心有力百貨店に確保する上で,樫山は,意識的に委託取引と派遣販売員を活用した。
(中略)
派遣販売員が製造卸売業者を成長せしめた要因に以下の点を挙げることができる。①販売員の派遣は,直接的には販売コストを増加させるが,販売員の不足する百貨店の実状では,販売力の向上を通じて売上を高める。②また,委託取引と結びついて,商品の販売動向を毎日1着ずつ点検し,売れる商品を追加し,売れない商品を他店の売場にもっていくことができる,すなわち,商品管理を徹底し商品回転率を向上させ,利益体質を強固なものにする。③消費者情報を直接納入業者の従業員が捉えることで,その情報を次の商品開発に生かすことができる。
最後に,この委託取引と派遣販売員は,百貨店の商品仕入および販売の能力向上の機会を奪い,結果として納入業者が売場への商品供給および商品価格設定を事実上遂行するようになった。製造卸売業者は,販売コストと販売リスクを負担する見返りに小売販売機能を取り込み,事実上,直接消費者に販売する体制を築いた。
P.156-P.157

当時の状況において、この制度がいかに画期的で、戦略的なものだったかがわかる。
そしていち早くこの仕組みを確立した樫山が大きく成長したのもうなずける。
ちなみに対するワールドがどんな位置づけかというと流通系列化で成長した会社。

株式会社ワールドの「コルディア」「ルイ・シャンタン」である。 1970年代半ば以降80 年代前半にかけて,ワールドは,自社の特定ブランドないしは複数ブランドのみを取り扱う「オンリー・ショップ」を全国に展開することで急成長した。これは家電産業などにみられる流通系列化と同様な性格を有している。
P.162

アパレル業界の歴史も大して知らなかったので、色々と見方が変わって面白い。
そして大きな乱売問題が発生していないのもこの業界の特徴。

委託取引と派遣販売員制度は,小売側である百貨店による安売りを防ぎ,メーカーによる小売価格維持を担保する取引制度である。この点で,有力製造卸と百貨店との委託取引においては,メーカーの価格コントロールが働かない小売業者間での安売り,すなわち「乱売」は生じなかった。
P.167

しかしだからこそ、近年の価格破壊による衝撃を既存企業がもろに受けているのかもしれない。
今が乱売の時代と言えなくもない。


日本の流通100年

日本の流通100年