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超高層ビルはその建物自体で完結している存在、銀座には相応しくない。 竹沢えり子/銀座にはなぜ超高層ビルがないのか

本書は銀座という街をテーマに、
街の雰囲気を守るために、街が何をしているのかを追いかけるドキュメント。
何かしらしているんだろうなぁくらいにおもっていたけれど、
その内幕が垣間見られて面白かった。


煉瓦を用いた近代都市

煉瓦街建設は、日本初の近代都市計画でもあった。しかも大火の翌々日には道路改正が内定、大火から四日後の二月三十日(太陽暦四月七日)には煉瓦造化が決定、三月二日に布告、翌明治六年には完成をみるという今では考えられないスピードである。
(中略)
銀座とは、家康がつくった街割の基盤の上に、明治新政府が多額の国家予算を投じ、煉瓦街へと生まれ変おった街である。そこには全国から新しい商人が集まり、新しい商売を始め、新しい商品が売買された。そしてその街並みや、そこを行き来する洋装の男女、扱われる珍しい商品を見るために大勢の人が集まった。一方、粗悪で湿気の多い煉瓦によって建てられた建築の内部では畳が敷かれ、暖簾がかけられ、江戸時代そのままの生活が営まれていた。江戸の構造の上につくられた西欧式の建築、そしてそのなかでたくましく営まれる商業活動と日常生活。銀座は官によってつくられ、民の力によって発展してきた街である。まさしく、日本近代のひとつの姿を、先鋭的に表現した街なのである。
P.26 - P.27

明治政府の意思決定の速さや実現の速さに驚く。
これくらいのスピード感をもって物事が動いていったら物凄いだろうな。
明治のスピード感ってこんな感じだったのだろうか?

その後の関東大震災がまたひとつのターニングポイント。
これは百貨店業にとっても転換点だったらしいことは流通の歴史で学んだ。

震災から銀座の人々が立ち上がる姿は、水上瀧太郎関東大震災直後の銀座尾張町小説『銀座復興』に感動的に描かれている。小説ではあるけれども、実在の料理屋をモデルとし、実在の地権者の名前が登場する。慶應義塾の学生の頃から、師である永井荷風に銀座のカフェを連れ回され、銀ブラを楽しんでいた水上のこの小説は、当時の銀座の空気をかなりリアルに描いているのではないかと思う。
P.31

と、書いてあったのでいつか読んでみたい。

銀座復興 他三篇 (岩波文庫)

銀座復興 他三篇 (岩波文庫)


銀座フィルター

銀座に合わないテナントは数年で自然と出て行く。
銀座には暗黙のフィルターが働いている、というもの。
ただ、これまでそういわれてきた暗黙の銀座フィルターを明文化、
制度化していく必要が出始めてきたということ。
あ、うんの呼吸だけでは通用しない事例もある。

一方、ある外資ファッションブランドは、わざわざアメリカから副社長がやってきて協議したにもかかわらず、竣工してみると銀座デザイン協議会との約束事はほとんど守られていなかった。そのうえ開店後、企業イメージとなる香水を店外に噴霧したため、周辺の店舗、特に飲食店からのクレームが相次いだ。そこで銀座デザイン協議会と銀座通連合会は、度重なる注意や質問状、要望書を出したが、その答えは、「銀座通連合会の関与がなくても支障はないので退会します」というものであった。この事例は、顔の見える関係でお互い仲良くやりましょうよ、という話が通じないなかで、「銀座らしさ」を理解してもらうことの難しさを示している。ただし、このような事例は、現在までの六年間で1例のみであることも明記しておく。
P.184

外資系も色々だということ。
シャネルのコラス社長のように、自ら銀座の歴史を語り、
路地裏の魅力を語るという銀座への理解と愛がある人もいれば、
上記ブランドのような人たちもいる、ということ。
でも街をあげてどういう街でありたいかを意識しなければ
そんなものはなし崩しに壊されてしまう。
その街として皆を巻き込んでいくことの難しさを感じつつ、
それでもなんとかうまいこといくようになっている銀座は凄いと思う。


高層ビルがなぜ駄目か

景観の問題とかももちろんあるのだけど、
超高層ビルは、それ自体の中で完結してしまう建物なんだ、という指摘が面白かった。
他の存在がなくても成立してしまう存在、それは銀座である必要は無いということ。
銀座は通りの賑わいとか、ちょっと一本入った所にある路地裏の楽しみ、
まさに銀ブラこそが街の魅力、と言っていてなんとなくわかるような気もした。