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学びや思いつきを記録する、超要約ノート

国内MBA2013年入学、2015年無事卒業!読んだ本、記事、などの読書ノート。 忘れないために超要約整理。そんな記録。

子供の頃持っていた人形の方が、私達よりもよっぽどいいものを着ていた! ファッションビジネス全般の話。生産の裏側とか。エリザベス・L・クライン/ファストファッション

マーケティング グローバル系

ファストファッションは本書の中でも大きなテーマだけど、
ファストファッションのことが書いてある本じゃない。
グローバルで起きている、生産、ロジスティックスの革命と実態。
ファッションビジネスがどのように変容していったか、と言う話。

タイトルの印象から想像していたよりも硬派な内容。

ファストファッション: クローゼットの中の憂鬱

ファストファッション: クローゼットの中の憂鬱


消費スタイルの変化、安いものを大量に。

日頃、わたしたちの多くは、「高い服を買う余裕などない」と自分に言い聞かせている。世のなかは不景気。医療費の高騰には歯止めがかからず、ガソリンの値段ときたらどうだろう。だが消費者の多くは、格安ファッションという回し車を回しつづけたあげく、降りるに降りられなくなっているにすぎない。より安く、より大量に買うことに、あっという間に慣れてしまったのだ。
P.7

本当に、この10年くらいであっという間に慣れてしまった!

アメリカ人の年間の衣料品購人数は平均六四点で、なんと週に一枚強を買っている計算になる。自分はそんなに買っていないと読者は思うかもしれない。だが、居間に服の山を積み上げてみれば一目暸然だろう。わたしの衣料品の数は平均的なアメリカ人が五年強で購入する数に相当したが、わたしがこの部屋に住み始めてからちょうど五年強だった。ごく平均的なアメリカ大消費者だということが、見事に証明されてしまった。
P.10

平均64点! そんな馬鹿な!って思うけど、
ファストファッションをはじめ低価格化していく中で、
消費量は拡大しているのかもしれない。
日本でもそうなのだろうか??
日本の場合、ファッションへの興味関心みたいなものが、
どんどん薄まっていっているような印象がある。
まぁそれはユニクロのせいなのかもしれないけれど。
ベーシック万歳。安いものでも組み合わせでオシャレ、みたいな価値観。
間違っちゃいないのかもしれないが、皆が皆それだと結局つまらないのよね。


価格の下落

ここ一五年、アメリカでは衣料品の平均価格がかつてないほど大幅に下落した。現在、アメリカ人が衣料に費やす金額は、所得に対する割合で見ると史上最低である。二〇〇九年の統計では、衣料品関連の支出は家計費全体の三パーセントに満たない。衣料に限って言えば、これほど恵まれた時代はないだろう。ここ数十年で、アメリカの物価は上がった。住宅費もガソリン代も、教育費も医療費も、はては映画のチケット代まで、何もかもだ。
そんななか、衣料費だけが過去最低の水準になったのだ。
P.18 - P.19

これは日本でも全く同じ。
ユニクロ躍進、海外ファストファッション勢が躍進する中で、
国内のカジュアル系ブランドも軒並み単価が下落。
中国、アジアで安く大量に作る路線へシフト。


アメリカと日本のイメージの違い

現在のGapといったら、思い浮かぶのは眠気をもよおすような基本アイテムばかりだが、二〇年前には目新しい人気最高のブランドだったのだ。
P.24

結構ブランドによって本国とのイメージの差があるものって多い。
日本ではまだここまで言われることはなさそうな地位を保ってる気がする。
他にもアバクロとかもアメリカではティーンが着るもので、
いい年した大人が着るもんじゃない、とかも日本のイメージと相当ギャップがある。


一度崩壊した価格は戻らない

一〇年前に「大人になってもまだH&Mで買い物をするつもり?」と聞かれたら、わたしはおそらく否定しただろう。ゆくゆくは上質の生地で豪華なドレープが入ったような、そんな服を売る店で買い物をするようになると思っていたのだ。だが、高い服を買うことへの嫌悪感は、あまりにも大きく育ってしまった。しかも、仕立てもセンスもよく、値段もさほど高くない服を買おうとしても、どこで探せばいいのかわからない。父の時代なら、中心街のデパートに行けばよかった。他にはない、仕立てのよい服が売られていたのだから。だが今はどこへ行っても、判で押したような画一的な服が、どれもこれも大幅に値引きされて大量に並んでいるだけだ。選ぼうにも、あまり選択肢がないのが実情なのである。
P.47

結局、服に対する価格感が大きく変わってしまった。
これを元に戻すことは難しい。
生地や縫製が消費者にどれだけ知覚できるかというと、それもまた難しい。
だからこそ、今の現状がある。
ただ、ファッションはその時代によって、大きく変化していくから、
もしかすると、安物着たくないムーブメントがこれから起きてくる可能性も0じゃない。
ただ、欧米の感覚だと、エコであったり、フェアトレードであったり、エシカルっていう
キーワードがファッションにおいても注目されているし、
日本よりは社会に浸透している印象。
ただ、本当に良質なものを作ろうとした時に、作れない状況になっている危険はある。
織り機もどんどん無くなっているし、職人も残っていない。
二度と昔のクオリティを出せない、そんなことが起こりうる。

衣料品が本来手工業製品であるのは当然だと思われるかもしれない。だがこの単純な事実が、服の価格を大きく左右している。縫製員の賃金と工場の収入が、製品の価格を決めるのだ。安い車をつくるには安い部品が必要である。同じように、安い服をつくるにも安い原料が必要だ。ところが、ディパルマによれば布地の価格はどこでもそう変わらないという。たとえば、日本と中国では五〇セントしか違わないこともある。「生地の値段は製品の価格とは無関係です」とディパルマは言う。「生地ではコストダウンができませんからね。できるとしたら賃金しかありません。でも、アメリカには労働基準法があって、最低賃金以下では人を雇えませんからね」。安い服をつくろうと思ったら、安い労働力が欠かせないということになる。
P.57

そしてより安い労働力を求めて、中国から東南アジアへと、
工場もシフトしていっている。

さらに安く、もっと安くという消費者の欲求は、アメリカの服飾産業を絶滅寸前に追い込んでいるだけではない。少量生産のデザイナーや独立系の企業の未来をも阻んでいる。手の届く価格できちんと仕事をする工場を国内に見つけること、まともな賃金を払い、公平な利益を得て服飾品を売ることは、きわめて難しくなっているのだ。
P.77

そして結局こんな状態に。


所得格差とか

恥ずべきことだが、アメリカは先進国のなかで唯一、所得格差が広がっている国である。現在では、全世帯数のわずか一パーセントに、国民総所得のほぼ四分の一が集まっている。こんなに格差が開いたのは一九二九年以来のことだ。今日わたしたちは、この大きく開いた所得格差そのものを身にまとっているとは言えないだろうか。
P.100

格差が広がりすぎるのもしんどいよね。
まぁ、勝てる方に回れればいいけどさ。

格安ファッションの影響で、デザイナーズブランドの服の価格は下がるどころか、むしろ上がっている。というのも、高級ファッション店で買い物をする人々の目的は、VISAカードを限度額まで使い切ることだからだ。こうした人たちにとって、服を買うことは一種の“自己顕示的消費”であり、どれだけ高価なものを買ったかを他人に見せつけるための行為なのである。経済学で“ヴェブレン商品”と呼ばれるもの、がある。価格が高ければ高いほどよく売れる商品のことだ。自分が持っている富やステータスを誇示するための商品なので、高いほうが効果的なのだ。服飾品は、自己表現や自我と直接結びついているため、この効果が顕著に現われる。
P.101

まぁ、これも何となく分かる。
マーケティング的に言えば価格が価値の代理指標として機能するんだろうけど、
本来価値はすべて価格で表現されるものではないんだけどね。


昔の服の方が良質

「店で買う既製服のほとんどは今のものとは別格だった。手間のかかるまつり縫いで裾の処理をしたものも多かった。縫い目がほとんど見えないほどの巧みな仕上げでね。高級に見せるために裾を自分でまつり直す女性も多かった。直線縫いの服など皆無だった。そんなものはくずと見なされ、貧しい人々でさえ着たがらなかった」と述べている。今日の大量生産品の裾のほとんどは、早くて簡単な直線縫いだ。はぎ目はロックミシンで仕上げられている。ロックミシンはかがり縫いと同時に余分な布地を切り落としてくれる。脇にも裾にも余分な生地が残らないので、サイズ伸ばしは不可能だ。仕立て直そうとする人などほとんどいない。「子供の頃持っていた人形のほうが、今のわたしたちよりよっぽどいいものを着ていましたね」とウィッテーカーは言うが、実際その通りだ。当時の人形の服の裾はまつり縫いされていたのだから。
P.107

何とも複雑な気持ちになるお話。


ファストファッションのパクリ戦略

スカフィディは二〇一一年七月、フェミニストのブログJezebel. comのなかで、Forever21のような企業が何度訴えられてもコピーをつくりつづける理由は、万が一『捕まっても』示談に持ち込めばいいという『経営戦略』をとっているからに他ならない。デザイナーに示談金を払うほうが、最初から許諾料を支払うよりおそらくは安上がりなのだろう」と指摘している。
P.138 - P.139

まぁ、これも戦略としては秀逸なのかも。
割り切ってしまえば何とでもなる。


モードのサイクルが高速化している

ドイツ人社会学ゲオルク・ジンメルは一九〇四年、アメリカの社会学界誌アメリカン・ジャーナル・ソシオロジーに「ファッション」と題する歴史的な記事を寄稿した。そこではファッションの価格とスピードとの関係について、明快な論理が展開されている。「スタイルの変化が急激になればなるほど、同じ種類の安い品物の需要が高くなる」。なんと的を射ていたことだろう。今日では、合理的に設定した価格を平均的な消費者に納得してもらうことが難しくなった。ファストファッションは、とめどなく流行を更新し、それを安く売ることでこの困難を回避している。だが新製品を売る競争のなかで、ファストファッションは流行り廃りの速度を上げてしまった。その結果、平均的な消費価格はさらに下落した。次のシーズンにはすたれてしまうデザインに高いお金をかける理由はないからだ。まったくの悪循環である。
P.149 - P.150

ただ、この高速化に時とともに皆が辟易としてくる。
で、必ずアンチテーゼが出てきて、それが主流になって、再び・・・っていう繰り返し。
それがモード。

でも、今問題なのは自分たちが着ている服と言うものへの興味関心が
相対的に低下してきているように感じること。
服を選ぶ、服を着る、とはどういうことなのか。
服の歴史とか面白いけど、そういう文化的側面はどんどん注目されなくなってきてる。
あらゆる価値観が相対化される現代における今のファッションの現状は、
数十年後どのような文脈で歴史の中に整理されるのだろう?

ファストファッション: クローゼットの中の憂鬱

ファストファッション: クローゼットの中の憂鬱