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学びや思いつきを記録する、超要約ノート

国内MBA2013年入学、2015年無事卒業!読んだ本、記事、などの読書ノート。 忘れないために超要約整理。そんな記録。

教科書にはないリアリティ、読むとやる気出る。 三枝匡/V字回復の経営

実際の自分のコンサル経験などを元にした
ノンフィクションに近いフィクション。
経験に基づいているので、再生までの道のりが結構リアル。
その辺の生々しさが教科書とは違う迫力があっていい感じ。

で、名著として知られるこの本が新装版として装いも新たに登場。

もともとこの話のベースになったクライアントがどこかは明かしていなかったのだけど、
元になった事例はコマツなんだそうな。

とにかく実践的な話が満載なので、このシリーズは本当にお勧め。



閉塞感だらけのだめ組織

身近なところに大混乱しているダメ組織があるのでいちいち身に染みる。
自分の事業に関してはこうなっちゃダメなんだよな、と気をつけながらやっていこうと思ったのだけど、
ダメ組織に関してはことごとく当てはまるから驚く。

組織の「政治性」は「戦略性」を殺す力を持っている。
政治性は、個人の利権・利害の混入、過去の栄光への執着、個人的好き嫌いなどによって生まれ、「正しいか正しくないか」よりも「妥協」重視の組織風土を醸成する。
P.31

政治性の根っこがどこにあるのか、それによって対応方法も変わるのだろうか。
利権、利害の混入、辺りはものすごく怪しい。
あと、意思決定者が不明瞭になり、どちらが主導権を握るかのパワーゲームみたいになるパターンもあるよな。
いずれにせよ、現場は疲弊する。まったくもって「正しいか正しくないか」の話なんてできない。

ダメ会社というのは、機能組織ごとに被害者意識を蓄積させるのですね。
そして、会社全体の赤字や負け戦なんて、自分のせいではないと全員が思っているんです。
しかもここ数年、なんとか状況を打開しようと、リーダーシップ不在のまま中途半端な組織変更や人事異動が頻繁に打ち出されてきました。
社員は皆うんざりしているのです。
P.80

このうんざり感とか被害者意識とかを変えさせるのは本当に大変。
被害者どころか、お前ら加害者なんだよ、って気がついて、
状況を自分事にできると劇的に変わるんだけど。


改革の障壁

こういう泥臭い話をしっかりととりあえげてるところが、リアルなんだよな。
逆にこの辺がわざとらしく、物語っぽいと感じる人がいるとすれば、
その人は人のごちゃごちゃに巻き込まれたことない人なんだろうなぁ、と思う。

そして改革はする方も抵抗する方も、真剣勝負。
「切るべきガンは切る」、切ることで本気度を示すってのが必要なときもあるよな。

強度の面従腹背
言い放しで構わない野党の強みを利用し、陰でかなり行動的に批判をばらまくので、それが改革者にも聞こえて関係がおかしくなる。
米国なら早々に退職ないしクビだが、日本ではそこまでいかずに居残るのが一般的。
そのため改革が成功しても新組織に同化せず(あるいは同化を許されず)、会社の隅でおとなしくしているしかない存在になる。
日本企業には、幼児性が強く甘えている社員が多いため、自分がどんな悪作用をばらまいているか自覚していない人もいる。
改革の成果を見てシマッタと思う(感情を先行させたために論理判断を間違えたと後になって気づく)人もいるが、感情的しこりが残っているので修復は難しく、後悔しても遅い。
そうなれば、もともと行動的なタイプのはずだからさっさと転職して楽しい人生を探せばいいと思うのだが、それほどのガッツもなく日陰で恵まれない人生を過ごす人も多い。
改革者の事前のコミュニケーション不足、稚拙なシナリオ、詰めの甘さ、急ぎすぎなどが確信抵抗型の出現リスクを高める。
お互いの不幸だから双方ともきちんと正面から話し合う努力をして、違いを理解し、早い段階でせめて中立型への移行を図ることができればいいが、現実にはそう簡単にいかないことが多い。
しかし改革者が遠慮すれば改革者が殺される。
この類型の人が否定的言動を続け、前向きな人々をくじけさせ、改革の積み木を崩そうとするなら、断固として「切るべきガンは切る」の蛮勇が必要になる。
P.88

分業による当事者意識の低下

事業が大きくなり、人が増え、分業体制が進めば進むほど、
当事者意識が低くなっていってしまう。
でも分業体制を敷き効率化していかないと事業の規模が大きくならないのも確か。
その辺の規模と組織のバランスってのは本当に難しい。

手作りの椅子をまるごと一つずつ組み立て、それを自分で売った職人は、自分の作った椅子で顧客が満足してくれたかどうかに敏感だ。
お客に嫌われたら、その痛みは自分の痛みである。
そこで職人は技術を磨き、モダンな椅子のデザインを自分で工夫し、商品に新しい感性を入れようと自分で努力する。
しかし椅子の世界にもアダム・スミスの分業論が導入され、工場では毎日、椅子の「脚」だけしか作らない職人がいるようになった。
彼らは自分の作った脚が他の職人の作った部品とピタリと合うように、会社の決めた部品規格や品質基準に組織ぐるみで従うことを求められた。
人が機械のように働くことが重要になった。
そうなると個人はモノ作りの楽しさから遠ざかってしまう。
また顧客の不満を自分の痛みとして感じ取る度合いも低くなる。
完成した椅子がいくらで売れるかよりも、自分は賃金さえもらえばいいという人が増える。
このメタファー(比喩)の意味は重要である。
産業革命以来、工場労働者に起きたこの現象と同じことが、二十世紀後半、日本企業のホワイトカラーに起きているのではないか。
P.127 - P.128