アメリカの巨大通信会社AT&Tの子会社の研究所。
なんとなくすごい研究所、というイメージくらいしかなかったけれど、
改めて読むとすごいところ。
ノーベル賞7人も輩出してるし、トランジスタとか電波望遠鏡、
レーザー、情報理論、C言語、なんてのもこの研究所の研究成果。
そんなベル研究所の歴史を真正面から捉えたのがこの本。
類書もたくさんあるのかと思いきや、Amazonで検索しても全然出てこないから、
ここまでベル研究所にフォーカスした本はあんまりないのかも。
- 作者: ジョン・ガートナー,土方奈美
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/06/28
- メディア: 単行本
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ちなみに以前読んだ、情報理論を確立したシャノンもここに在籍。digima.hatenablog.jp
すべての情報は0と1で表せる!
ベル研究所の研究成果がなかったら今のような情報通信の世界は来てないんだろうなぁ。
というわけで、偉業の歴史であり、イノベーションを起こす組織や人に関する記録って感じ。
イノベーションは予測不可能
アーノルドは後年、研究部門についてこう語っている。「我々の成果として重視されていたのは発明だったが、それは計画したり、強制することが不可能なものだった」。研究部門の意義は<天才にふさわしい活動の場を与えること>にあった。アーノルドが言わんとしていたのは、天才も技術者と同じように確実に会社の事業に貢献する、ということである。だが天才は予測不可能なものだ。それでも開花する余地を与えなければならない。
P.38
イノベーションとオペレーションの決定的な違いは、予測不可能であること。
すなわち、かけた時間、コストが成果に必ずしも繋がらない、ということ。
この辺の話はホンダでエアバッグを開発した小林三郎の本が、非常に良く整理されている。
そして日本のメーカーの凋落をイノベーションをオペレーションと同じようにマネジメントしようとした結果だと断じている。
これって本当に大切なこと。効果、効率を求めすぎると組織は硬直化してイノベーションは起きづらくなる。
一見無駄に思えることが後で大きな成果を生む可能性がある。
目先の効率重視だと大きなものを見失う可能性がある。
ベル研究所もまさにそのことに自覚的だったことがわかる。
イノベーションを創発させる工夫
思いもよらぬ所から閃きにつながることを自覚していたベル研究所は、
とにかく人とのコミュニケーションが生まれる設計をしていた。
一見自分とは関係ない人との他愛もない会話が閃きにつながることもある。
人に話しているうちに自分で閃くこともある。
自分にとっての悩みが、違う世界の人にはごく簡単な問題だったりする。
「大学キャンパスは学部ごとに建物が分かれているが、その点は見習うつもりはなかった。逆にすべての建物を連結することで、異なる部門が一定の場所に押し込められないようにして、部門間の交流や緊密な連携を促すようにした」とバックレーはジューエットに説明している。つまり物理学者、科学者、数学者がお互いを避けたり、研究部門の人間が開発部門の人間を邪険にしたりするようなことがないようにしたのだ。
だれもがいろいろな人と顔を合わせざるを得ないような工夫が凝らされた。研究員には通常、研究室とオフィスが両方与えられたが、同じ階にあるとは限らなかった。二つの部屋を行き来する間に、何人かの同僚と顔を合わせるようにという配慮だ。同じ狙いから、物理学者が入居する予定の建物では、廊下の長さが700フィートにも達した。
P.90
ベル研究所のタブー
ベル研究所の研究員には、たとえて言えば、表面準位のように、超えてはならない壁がいくつかあった。靴下をはかないとか、仕事時間に電話事業とは一切関係のなさそうな機会をつくるといった奇行は許容されていた。その一方、許されない行為もあった。たとえば秘書を誘惑することは絶対に許されなかった。研究室の扉を閉じて仕事をすることも認められなかった。相手の社内的地位や所属部門にかかわらず、同僚から助けを求められたときに協力しないことも許されなかった。
とりわけ最も重要だったのは、スーパーバイザーは部下を指導することはできても、干渉することは認められないというルールだった。
P.119
で、トランジスタが発明された時、ショックレーはこのタブーを破って、部下の成果に自分のアイデアを組み込んで進化させてしまう。
よっぽど忸怩たる思いがあったんだろうな。
そして、勝手に進展させることができたのもショックレーが並はずれた天才だったから、でもある。
- 作者: ジョン・ガートナー,土方奈美
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/06/28
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