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出版流通の歴史を概観するのに最適 柴野京子/書棚と平台

別に本書は流通の歴史をまとめることが目的の本ではなく、
流通自体がメディアのような媒介作用を持つのではないか、という視点で
出版流通を捉え直した本。

ゆえに小田光雄のような嘆き節ではなく、フラットに整理されているところが素晴らしい。
出版されたのも2009年と比較的新しく、この業界に関しての知識を得る上でも、
かなりお勧めできる印象。

書棚と平台―出版流通というメディア

書棚と平台―出版流通というメディア



日本の出版流通の特徴

ここで改めて日本の出版産業の構造と現状を概観しておくと、その特徴は次の四点に集約できる。すなわち、①流通を担うディストリビューター(取次会社)が出版社から独立した事業体であり、ここを経由する取次-書店ルートが流通の大部分を占めること。なおかつ日本出版販売、トーハンの取次大手二社で約七割という寡占状況にあること、②欧米のようなコングロマリットに吸収されない、多数の独立経営による出版社、書店が存在すること、③ほとんどの諸外国では雑誌販売が新聞ルートに準じて行われているのに対し、日本は雑誌が書籍と同一ルートで流通すること、④委託制、再販制をとっていること、である。

中小零細出版社が存続できていることは流通構造の影響も少なからずある気がする。
本の雑誌販売は書籍と同一ルートであると言うのも面白いポイント。
おかげで定期購読はあまり熱心じゃない。
委託制、再販制に関してはアメリカは違うけど、フランスは採用している。


これまでの出版関連本

語られるのはあくまで出版産業内部に向けられた実用の言説の域にとどまり、この問題が本来もつはずの広範さや根深さには十分な注意が払われていない。「本はどこへ行くのか?」、「本の未来はどうなるのか?」、「出版文化を守ることができるのか?」といった議論から出発するのではなく、そうした問いの立て方そのものを見直す視座が必要なのではないだろうか。
P.19

この辺はまさに仰るとおり。
どうしても内輪の話に終始してしまうようなものが多く、
ただの愚痴や回顧主義っぽく受け取られかねない部分もなくはない。

先日このブログにも書いた小田光雄氏の著作に関しても、
その限界を次のように指摘していて、納得してしまった。

小田の議論の問題点は、現代的出版流通の「あるべき」姿を「現代的読者の消費傾向」の上に置いてしまっている点にある。そのような解決法においては、とどのつまり業界内部でたたかわされる議論と変わらぬ結論しか生まれない。それはとりもなおさず、小田自身が嘆かわしいものとしてとらえているはずの読者の消費志向を肯定することでもあり、最終的には、一般の危憺言説と同じペシミズムに陥ってしまうのである。
P.22

もちろん、こういった限界はあるが、それでも小田氏の本には、一定の価値はあると思う。
あれくらい率直に嘆くことも大切だと思うし、業界内部の話にちゃんと切り込む姿勢は立派。


物流にまつわる運賃のお話

特運とは定期刊行物を優遇する運賃制度で、これより先に郵便料金でも同様の優遇措置がなされている。郵便の特待は早く、制度開始の明治四年には新聞輸送料の特待、六年には認可新聞社の原稿送料無料が実施された。これは郵便創始者の前島密かイギリス外遊で新聞制度の重要性を意識したためとされ、明治一五年には現在の第三種郵便に相当する均一料金制度が新聞雑誌を対象に定められている。鉄道特運の方は、敷設を待って新聞が明治二三年、雑誌は三一年である。
P.36

これは、メモ。
物流の料金は出版流通を支える重要な項目だと思われる。
岩野裕一氏「文庫はなぜ読まれるのか」でも指摘されていたが、
日本の出版物流は定期刊行物、すなわち雑誌をベースに設計されおり、
近年の雑誌の不調によりこの土台が崩れつつある。
ちょっと恐ろしい問題。


戦時中のあれこれ

昭和一八年に入ると、用紙割当が六割に激減、三ヶ月後にはさらにその三割が削られている。
買切制が導入されるのはその直後である。この買切制では小売のリスクが大きく、供給側ではスケジュール管理とストック場所の確保など、煩雑な点が少なくなかったが、かくなる問題も出版物の総量が激減してゆく過程において、そもそも返品されるほどの商品が提供できなくなったことによって消滅してしまう。そして決定的な転換が起きる。日配では限られた量を配給するため、図書館、産業報国会や軍事関連の職場サークルを行政的に組織して読書会をつくらせ、これらに割当として優先配給する施策を打ち出した。「良書」を必要とする「読ませたい」層を個別に発掘するのを諦め、あらかじめ組織した団体を使って読者層を特定することにしたのである。
P.68

1941年、戦時統制の一環として、全国の取次は解体され、
日本出版配給株式会社(日配)に統合された。

解散が噂されてのち、出版業界内での日配への評価は二分している。戦後の事業の自由化によって復活した中小卸業者からは、当然のごとく猛烈な解散要請が行われた。だが出版社や小売商連合は協議の末に日配支持を表明した。最大限に合理化された日配の取引への依存と、終戦の混乱期における金融面での信用が理由である。
P.71

そしてその日配に対する評価も様々だった模様。

そのため解散が確定したのちの再編成案は、日配存続を求めた出版社と小売、日配幹部がそれぞれ当局と折衝しながら協議することとなった。最終的な分割案では書籍雑誌をA、Bの二社、ほかに教科書のC、旧日配支店から北海道、名古屋、京都、大阪、九州の地方取次五社に分け、これにすでに自主的に教科書取次を計画していたDを加えた九社とした。いずれも昭和二四年に設立しており、Aは東京出版販売(現トーハン、以下東販)、Bは日本出版販売(以下日販)、Cは日本教科書販売、Dは中央社である。しかし地方取次はほどなく東販、日販の支店として吸収または解散され、大阪のみが現大阪屋として残っている。
P.71

こういった歴史も全然知らなかった。
大阪屋が日配分割時の地方取次の1つだったのね。
今は楽天の資本が入っております。


二大取次設立の裏に出版社の対立あり

二大取次の設立には、業界を代表する出版社が深く関与している。
前述のように、出版産業は戦時中の内閣情報局にかわってGHQの統制を受けることになり、業界組織の体制も一新された。
日本出版会(旧日本出版文化協会)に代わる要としては、日本出版協会(以下出協)が設立された。戦時統制への反動とGHQの意向から、運営には左派に属する出版社があてられている。主な実務は用紙統制だったが、ここで戦犯出版社粛正の動議が起こされ、旧体制の幹部であった講談社、主婦之友社、旺文社ほか計七社の除名が決まったことに端を発して、業界が激しく分裂した。
追加糾弾された一一社を含む計ニー社は出協を脱退、いったん日本自由出版協会を設立したのち、出協の左傾化に反発する別のグループも含めて、全国出版協会(全協)を組織した。
さらには日配の解散にあたり、全協の主要メンバーと元東京堂の幹部職員がA社=東販の設立を水面下で企てたことで、出協と全協との対立関係は決定的になる。
これによって後れをとった出協側か中心となって設立したのがB社=日販だったのであり、二大取次の設立はそのまま出版社の対立構造を反映することになった。
さらにいえば、東販設立に関与した全協の主要メンバー、すなわち旧体制の幹部は大手雑誌出版社の講談社、主婦之友社などであり、ほぼ雑誌取次を目的として設立されたといってもよい。大野孫平以来の雑誌重視である。これに対して日販のバックは出協側の岩波書店日本評論社、老舗専門出版社で構成される出版梓会などであって、設立当初の日販が専門書籍に寄ったカラーをもっていたことがわかる。
P.72

2大取次誕生の裏では出版社同士の対立があり、
その構造がそのまま2大取次に反映された、と言う話。
今となってはそんな傾向を感じることはないが、歴史の裏には色々あるのだな。

現在こうした商品区分に大差はなく、二大取次の業務内容はほぼ同様であるが、戦前雑誌元取次のトップであった東京堂が、間に日配を挟みながらも戦後東販として長らく一位を保持したことの連続性は、保守的に取引全般のリーダーシップをとる者として、常に「東販の出方を見る」という形で継承された。東販に対する日販のコーポレートーカラーは革新的といわれたが、それは当初から出版社の代理戦争的なライバル関係を設定されていたことによって生じたのである。
P.73

あくまでも東販がリーダーシップをとると言う雰囲気。
この出方を見る、というのはまさにこの業界によくある話。
出版社の中にも講談社小学館の出方を見る、という雰囲気は残っている。
そしてこういう明文化されないルールというか、雰囲気を、
しっかり記録していくことは後世にとってとても重要なことだと思う。
そこまで読み取れないから。


赤本、ゾッキ本の類が駆逐されていく

そして昭和三〇年代後半には取次ルートが「正常」化してゆくのだが、貸本、特価本のピークに続く昭和三四年、『少年マガジン』『少年サンデー』が初の少年漫画週刊誌としてそれぞれ講談社小学館から創刊されている点に、講談本や昭和期の雑誌、絵本と著しく類似した構造を確認できるのである。そして、カッパブックスや文庫本のような大手出版社による低価格のペーパーバックが量産され、それらの商品が戦前と比較にならない徹底した流通網で行き渡るようになると、もはや新たな販路=市場をもたなくなった特価本業界は、デパートの催事場などにみずから売場を設定するほかは、ほぼすべての特質をメインストリームの出版資本に吸収される。あたかも前田愛が近代赤本に江戸地本の衰退をみたように、戦後出版流通の躍進は同時に近代赤本の終焉を告げるものでもあった。
P.104

近代赤本に江戸地本が駆逐されたように、新たな流通網を得た戦後の出版物によって、
赤本は衰退していった。


昔の書店

一般書店に現在のような開架式の陳列が現われたのは明治中期あたりとみられる。それ以前は、本屋といえどもほかの商店と同じく畳敷、板敷の坐売りであった。
P.109

本棚に陳列するスタイルが当たり前だと思っていたが、
昔は畳敷、板敷、だったらしい。
言われてみれば、そりゃそうか、と思うのだけど、
そんなこと考えたことも無かった。

書棚と平台―出版流通というメディア

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