ビジネス書大好きMBAホルダーが教える私の学びシェア

本を読んでそこから新しい知識を得たり、学んだりすることが大好き。学びたい、成長したいという意欲のあるビジネスマンの皆さん、一緒に成長しましょう。

経営者の本にありがちなきれいごと感がない。自分ならできるか、常に問われている気分。吉川廣和/壁を壊す

経営者の本を読むシリーズ、お勧めされて読んでみたのだけど、面白い!
DOWAの会長兼CEOで7年で経常利益を10倍にする改革をやってのけた人。

タイトルにある壁を壊すは比喩だけではなく、本当にオフィスの壁を壊して回ったという逸話の持ち主。
とにかくきれいごとではなく、決めたことをやり抜く。その覚悟が半端無い。
普通そこまでやるかということを徹底する強い意志。
でも企業風土を変えようと思ったらここまでやらないと変わらないのだろうな。
質実剛健、浮ついたところがなくちょっと圧倒されました。

壁を壊す

壁を壊す


とにかく壁を壊す

会社には、比喩的な意味でも、無数の見えない「壁」がある。部門ごとの縦割りの組織の壁、現場と管理職、社員と役員を分ける上下の階層の壁、会社の外部に対して情報を見られまいとする会社の壁、人間関係や個人的な利害関係に由来する人の心の壁、そしてこれらが複合的に絡み合って醸成される風土・文化の壁などである。それぞれの壁については後述するが、こうした「壁」は、どの会社にも共通して存在するものであろうが、いずれも簡単には崩せない。中でも、これらの見えない壁をさらに厚く高く補強しているのが、物理的な壁の存在である。
P.18

見えない壁を、物理的な壁が補強している!
だから壁なんか壊してしまえ、ってのがすごい。
きっとものすごく風通しが良くなったに違いない。
偉い人ほど壁を作りたがるパターンってのは往々にしてある。
トップ自ら不退転の覚悟で改革に臨むってこういうことなんだな、とわかった。


本社の役割

プロフィットを生むべき生産部門に、価値を生めない本社が君臨する姿は、大企業病以外の何ものでもない。何よりも、この病に気づかぬ精神性に、その根の深さがあったのである。
P.23

気がつくと本社が偉そうに君臨している、ってのはなんとなく想像がつく。
これこそが大企業病、本社の勘違いだと。
気がつけば本社は官僚主義に陥り、本社スタッフへの社内接待へ繋がる。
おかしなことなのだけど、既に出来上がってしまったあとでこれを変えるのは相当大変なこと。
正しいことを正しくやりぬくってのは凄いことだと改めて感じる。

それに対し、一つのことを実際にやり抜くには、客観的なデータと、綿密な計画と、勝算と、これらをペースにした情熱と覚悟が必要になる。さらに、途中に立ちはだかる抵抗や障害に打ち勝つだけの体力や精神力も欠かせない。ヒト・モノ・カネに恵まれ、十分な情報の下で改革ができることなどない。「ないない尽くし」の中で、いかに成果を上げるかが仕事である。困難さを乗り越えるからこそ価値が生まれるのである。
P.29

こういう覚悟を持って望まんと、改革なんてできない。
でも日々の業務で成果を出す上でもこういった覚悟は必要だな。
「ないない尽くし」で諦めるやつはなんもできんということだ。


就任前の状況

この計画は大手コンサルタント会社の主導によるもので、要は市場無視の売上高倍増計画である。
桃太郎の桃は、川上から川下へ流れるに従って成長する。当社の川上事業である鉱山・製錬が先細りなら、川下に当たる金属加工その他の事業を育てようというわけだ。一見すると、筋の通った計画ではある。
実際には、川下事業を経験したこともない偏差値エリートが特異な才能を発揮して作成した計画であった。まさに本社官僚による机上の空論で、うまくいきそうな筋書きが整然と展開されていた。市場や現場の実態を知らないエリートたちのレポート。社内が一斉にこの夢物語に飛びつき、動き出すこととなる。だが実態は、当時流行の「多角化」を標榜した、手当たり次第の投資・買収に過ぎなかった。本業とはまったく無関係に、落下傘のようにピンポイントで資本参加する。例えば後述する東北でのペプシコーラの販売権の猩得などはその典型だ。これによって、売り上げが伸び、自動的に利益も増えるはずであった。
P.36

耳ざわりの良い計画に踊らされると痛い目にあう。
既にそういったシナジーのない多角化なども進め、ぐちゃぐちゃの状態からの
社長就任と改革ってことをかんがえると、この人の凄さが際立つ。
何から手を着けて良いかわからん状況、途方にくれてもおかしくない。


やはり仕事には覚悟が必要なのだな

もし担当社員たちが、独立してでも続けたいといってくれれば、別の対応があったかもしれない。
しかし、彼らには、それがなかった。会社の庇護を前提とした「がんばります」「続けさせてください」を、真のやる気とは認めない。
P.88

言葉の端々に並々ならぬ覚悟が伺える。
仕事とは本来そういうものなのだな。
そういった覚悟をいかに皆に持たせるか、リーダー自ら覚悟を示し続けるタイプのリーダーシップ。

そもそも会議の目的は、何らかのアクションを起こすことだ。しかし、一〇人の会議の場合で、実際にアクションを起こす者、つまり本当に出席すべき者はせいぜい二上二人だ。ほかの者は、一生懸命にメモをとりながらお勉強しているだけである。それなら、最初から責任のある二~三人だけに絞って、打ち合わせをすれば済む。わざわざ大人数が集まって、会議を開く必要はない。
P.118

こういった話も良く聞くけれど、この人はそう思ったら、
そのように実行する。無駄な会議なんか無くさせて、会議室も無くしてしまう。
その徹底ぶりが凄い。社員に会議なんて無くても回るんだ、ということを体験させてしまう。
もし自分が偉くなったら、ここまでできるか。想定しながら読むとより面白い。


社長の重圧

社長就任を打診されたとき、その責任の重さに即答できなかった。また、当社の体質の悪さを知っていたがゆえに、再建の確信が持てず、半年近く返事ができなかった。私には荷が重すぎると思った。そのとき、まさに会社は公器であるということを、頭ではなく体で実感したのである。○二年に社長に就任してからは「会社とは、関わりを持つ人たちがメシを食うための道具に過ぎない」と割り切って考えることにしている。
P.183

徹底的に割り切って考えることで強さを発揮できる。
余計なものを排除することで見えてくるものがあるってのは、
経済学などのモデル化と同じか。
この人は割り切った上で自分の範囲を明確に定めている。

会社の責任者として私が約束できることは、会社の成長と安定である。これは夢ではなく、具体的な目標である。その達成のためには、全身全霊を傾けて働く。もしそれができなければ、即刻退任するだけだ。生活の基盤をつくるから、それをペースに、一人一人が自分の夢や生きがいを追いかけてください、ということである。「夢を、生きがいを」と声高に叫ぶ人を見ていると、超能力か無責任か、のどちらかと思ってしまう。まさに、夢のような社長さんだな、と。
経営の教科書には、必ず動機づけの大切さが記されている。動機づけをすれば、人は意欲を持ち、能力を高めて働いてくれるはず。人事部に所属していた若いころは、本気でそう思って働いていた。しかし、実践を重ねていくうちに、とてもそうは思えなくなってきた。「動機づけ」とは、いったい何をすることなのか。働く動機は、人それぞれである。私は、自分の子どもたちにすら、動機づけらしきことをできたとは思えない。また、私自身が他人に動機づけをしてもらおうなどとは考えない。力の結集も同じである。もともと会社は人が集まって、仕事をする組織である。「結集すべき力とは? どんな方法がある?・」と、実践的に考えていくと、どうしたらよいのかわからない。社内で叫び、主張することは簡単であるが、効果があることのようには思えない。むしろそんな主張で、仕事をしたような気持ちになることのほうが怖い。
P.199-200

個人的に、ビジョンを示すってのにものすごい違和感を感じてきた。
社員を1つの価値観で染め上げることの気持ち悪さ。
でも結構そういうのが礼賛されてる。夢や目標を語り、なんだか宗教のような。
その気持ち悪さを感じさせないビジョンの示し方であり、行動であり、リーダーシップだと思った。
これなら信用できる、と感じた。
ビジネススクールで感じてた気持ち悪さもスッキリ。

自分にも厳しく

トップになったら、異議申し立てをしてくれる人材を、どのくらい集められるかが重要だ。
イエスマンを集めれば、たしかに心地よい。その誘惑に負けそうになることもあるが、それでは改革は失敗する。気づかぬうちに、トップに都合のよい権力構造ができてしまう。いわゆる“とりまき”である。彼らは、トップの耳に心地よい、かつ自分たちの利益になる情報を、取捨選択して報告する。権力に近づいて、ウマイ汁を吸いたくなる。長期政権によく見られる現象である。この自覚のない人たちの権力が長く続くと、会社は疲弊の道をたどる。道は二つ。退任するか、自身でこの“
とりまき”を排除して、新体制をつくるかである。
P.191

たしかに尊敬できる人は何からでも学ぼうとするし、
悪い点の指摘、フィードバックを喜ぶ気がする。
自分の成長の糧になるからって言ってたけど、50越えてそれが実践できるのはやっぱりすごい。

壁を壊す

壁を壊す