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企業変革のこれ以上無い大成功事例、それがIBMにおけるガースナーの改革。 ルイス・V・ガースナー/巨像も踊る

メインフレームという大型コンピュータの大成功で、
圧倒的な地位を築いたIBMは、その圧倒的な強さが故におかしなことに。
そしてメインフレームの需要が減少するのに合わせて90年代に業績も急落。
3期連続の大赤字を計上し、会社を存続させるためには分割もやむなし、という状況にまで追い込まれた。
そのどん底のIBMのCEOに就任したのがガースナー。
彼は情報技術系の企業の経営のプロという訳じゃない。
マッキンゼー、アメリカン・エクスプレス、RJRナビスコを経て、IBMなので、
就任早々マスコミからはその経歴を疑問視されるくらい。

ただ、業界の経歴は最重要項目ではないんだなと、この本を読むと思い知る。
経営者に必要なものは取捨選択であり、進むべき道を示すことであり、
人の力を引き出すことなんだな。

巨象も踊る

巨象も踊る


権限分散の非効率

権限分散の一環として、社内のいたるところで、製品マネジャーが別個に広告代理店を起用していた。
取引のある広告代理店は九三年には七十社を上回り、それぞれが好き勝手にやっていて本社での調整は行われていなかった。
P.126

まぁ、これは分かりやすい例。
他にも社内ネットワークが31もあったりと肥大化し官僚化した組織の無駄が至る所にあったらしい。
業界平均の3倍、情報処理コストがかかっていた、というから膨大な無駄を抱えていた。
まぁ、この無駄が無ければガースナーもしんどかったかもしれない。
ある意味分かりやすいコストカットが大きなインパクトを持てて、
本筋の改革までのつなぎになった気もする。


必要な資産は揃っていた。

IBMの事業構成を一九九三年と二〇〇二年で比べると、最初はほとんど違いがわからないのではないだろうか。十年前には、サーバー、ソフトウェア、サービス、パソコン、記憶装置、半導体、プリンター、金融の各事業を行っていた。これらの事業は現在も継続している。もちろん、大きく成長した事業もあれば、見直したものもある。だが、事業から撤退したのは、少数のセグメントにすぎない。そして、大型買収によってまったく異なる業界に参入したわけでもない。要するに、IBMが成功するのに必要な資産は揃っていたのだ。
P.235

これも印象的。IBMには必要な資産は揃っていた。
ただ、色々なことが重なり、機能不全に陥っていただけ。
まぁそれは超深刻な機能不全なので、こんなこと言える人はそういないと思うけど。
自社のリソースの的確な把握って重要だけどなかなか難しいこと。


企業文化は経営そのもの

IBMでの約十年間に、わたしは企業文化が経営のひとつの側面などではないことを理解するようになった。ひとつの側面ではなく、経営そのものなのだ。組織の価値は要するに、それを構成する人びとが全体として、どこまでの価値を生み出せるかで決まる。ビジョン、戦略、マーケティング、財務管理の側面が正しければ、そして、経営システムの他の側面が正しければ、正しい道を進むことができ、しばらくは成功を収めることができる。だが、どんな組織も、企業にかぎらず、政府、教育機関、医療機関など、どんな分野の組織であろうと、これらの正しさがDNAの一部になっていなければ、長期にわたって成功を続けることはできない。
P.241

一番、感銘を受けたのがこれ。
ガースナー自身、IBMの経験が無ければそうは思わなかった、という所が真実味があって良い。
自分にはまだ経営に関しておぼろげなことしか分からないし、
企業文化とかビジョンとかに対しては懐疑的な所があったのだけど、
ガースナーの話はなんか信じられる気がした。

そして企業文化の恐ろしさも感じた。
長年の文化、価値観で腐って行く組織も多々ある。

自社の大成功をもたらした価値観を意識的に、組織的に制度化していった。ワトソンはこの価値観を三つの基本信条にまとめた。一完全性の追求・最善の顧客サービス一個人の尊重価値観の制度化とは、どのオフィスにもこの標語を掲げるだけにとどまらなかった(どこにも掲げられていたのは事実だが)。報酬と福利厚生の制度、経営幹部研修制度、社員の教育・研修制度、マーケティング、顧客サービスなどにこの基本信条が反映されていた。これはIBMの原則であり、IBMほど原則を社内に浸透させた会社はめったにない。この価値観は長年にわたってうまく機能していた。組織は成功を収めるほど、偉大さをもたらしてきたものをルールの形で定着させようとする。これは良い動きになりうる。組織全体で学ぶ動き、知識をうまく伝える動きを作り出し、「われわれのやり方」をはっきりと把握できるようになる。しかし、世界は変化する。いずれ、ルールや指針や慣習が、組織の本来の任務との関連を失っていくのは避けられない。
P.244

IBMが傾いていた時期に企業文化が無かったわけではない。
ただ、長い年月の中でおかしなことになっていた部分があったということ。
でもそういうのを改革するのって並大抵のことでは出来ない。


外に目を向けることの重要性

もっとも重要な点は、社外に目を向けたものだったことだ。もはや、自社の立て直しは目標にならない。業界の課題を設定することに、ふたたび焦点を絞り込むようになったのだ。社内の議論の焦点を「当社はどうなりたいのか」から「当社は何をやりたいのか」に移していった。
P.284

改革にもフェーズがある。
まずは何よりも目の前の大赤字をなんとかして、出血を止めなければいけない。
そしてその後のフェーズで論点をどう設定するかの好例。


研究開発と製品化

IBM凋落の原因のひとつが、科学的発見を効果的に市場化できない点にあったのは明白だが、その理由がどこにあるのかは厄介な問題だ。リレーショナルーデータベースやネットワーク機器、ネットワーク用ソフト、UNIχ用プロセッサーなど、これらすべては、IBMの研究所で生まれたものだ。だが、はるかにうまく活用したのは、オラクルやサン、シーゲートーテクノロジー、EMC、シスコシステムズといった企業だ。就任一年目にわたしは、発明した技術の市場化にここまで失敗してきた理由を、繰り返し質問し、突き詰めて考えた。IBMの研究者に顧客や商業化に対する関心が欠けているからなのか。答えが「ノー」であるとわかるまでに、それほど時間はかからなかった。大きな欠点は製品部門にあった。新しい発見や新しい技術を採用し、商業化することには一貫して消極的だった。
なぜか。七〇年代から八〇年代にかけて、それはメインフレームを中心とする既存製品を破壊するか、競合他社と協調することを意味していたからだ。
P.201

自社の研究開発による新技術を自社のビジネスにうまく活用できていない問題を
ガースナーなりに考察していて面白い。
問題は研究にあるのではなく、製品開発側にあるというのが彼の結論。
技術をどうビジネスにするか、その変換を促進する仕組みってめちゃくちゃ重要。

巨象も踊る

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