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世界のMBAにおいて、ミクロ経済学は必修科目 N・グレゴリー・マンキュー/マンキュー経済学 ミクロ編

学部時代マクロより、ミクロの方が好きだった記憶はある。
でもミクロの授業がどんなだったか、教授が誰だったかも思い出せない。
そんな状態だったけれど、改めて読んでみると普通に知ってた。
人の記憶というものはとても不思議。
忘れたように思っても、覚えているものなのだな。
そして何を覚えているのか、何を知っているのか、というのを
普段正確に想起することって難しいことなのね、とも思う。

本書は700ページを越す分厚い教科書だけど、
数式を極力排してミクロ経済学を解説してくれる文系には
これ以上ないくらいわかりやすいミクロ経済学の教科書。

一気に読もうとせずに、1章ずつ楽しみながら読んでいけば、
いつの間にか読み終わってる。
普通に読み物として楽しめるレベル。

いやー、しかし経済学は数式なければ本当に楽しい。
ある仮定において、ひたすら論理で推論していくプロセスは、
思いもよらぬ視点や、気付きを与えてくれる。

あぁ、だから経済学に興味持ってたんだった、ってのを
久しぶりに思い出せて有意義な読書だった。

マンキュー経済学 I ミクロ編(第3版)

マンキュー経済学 I ミクロ編(第3版)


機会費用

第2原理: あるものの費用は, それを得るために放棄したものの価値である
(中略)
あるものを獲得するために放棄したものを,そのものの機会費用と呼ぶ.何らかの意思決定をする場合には,意思決定者は可能な各選択肢に付随する機会費用を認識しなければならない.実際のところ,たいていの人はよくわかっているようである.大学生の年頃のスポーツ選手のなかには,大学を中退してプロになれば何億ドルも稼ぐことができる者もいる.彼らは大学在学の機会費用がきわめて高いことをよく知っている.彼らのなかで大学教育の便益が費用に見合わないと考える者が少なくないのも,無理のないことである.
P.7 - P.8

物事のコストは、それに対して支払った金額だけじゃないってこと。
それをしなかった場合、得られたはずのものもコスト。
MBAに通うことで目減りした残業代とかも授業料にプラスしてコストなんだよって考えると
まぁ、結構高い投資でしたね、と思う。
でも、そのコストより高い効用を得られれば良いわけだ。

欲しいもの、やりたいことへ支払う金額って、
それ自体の金額よりも自分が得られる効用に対してプラスかマイナスかという
判断基準が主なのだけど、当たり前のようにしてきたそういう意思決定プロセスも、
ミクロ経済学を学んだことのない人には新鮮なんだなってこともわかった。

当然、経営の意思決定においてもそういった思考回路はとても重要。

そしてしみじみ思うのは旅行が大して好きじゃないのは、
かかる金と時間に対して、自分が得られるものが物足りないからなんだろうな。
これはものすごく個人的な問題で、同じ金額、同じ場所に行って、
満足できる人もいれば、そうじゃない人もいるってこと。


需要の弾力性

密接な代替財を持つ財ほど,需要の弾力性が大きくなる傾向がある.消費者は簡単にその財から他の財へと切り替えることができるからである.
P.137

代替できればできるほど、弾力性が高くなる。得られるものが同じならば、安い方に流れるだろうし。

ある財が必需品であるか贅沢品であるかは,その財自身の性質によるのではなく,買い手の選好による.自分の健康にほとんど関心のない熱心なヨット愛好者にとっては,ヨットは非弾力的な需要を持つ必需品で,医師の診察は弾力的な需要を持つ贅沢品かもしれない.
P.138

ただし、何を重視しているか、という視点次第で、必需品なのかどうかはまったく異なる。
自分にとって本は必需品であり、投資は惜しまないけれど、多くの人にとっては
全く不要なもの、そんなことにお金をかけるなんて贅沢、かもしれん。

BtoCのビジネスにおいてはある程度ターゲットが重視しているものって括れそうだけど、
これが競合とのガチンコの競争だったりするとき、相手が何を重視しているのかを読み間違うと不味い。
自社に関しても同じ。ここが肝だから、あれは捨てられる、みたいな独自のトレードオフが戦略にはある気がする。


税や規制の話

政府が競争市場で拘束力を持つ価格の上限を設定すると,財の不足が生じ,売り手は多数の潜在的な買い手に対して希少な財を割り当てなければならない.価格の上限の下で現れる割当てメカニズムが望ましいことはめったにない.長い行列は買い手の時間を浪費させるので,非効率的である.売り手の偏見に基づく差別は,非効率的である(財が最も高い評価を与える買い手に必ずしも届かないため)だけでなく潜在的に不公正でもある.対照的に,自由競争市場における割当てメカニズムは,効率的であるとともに非人為的である.アイスクリームの市場が均衡に到達したとき,誰でも市場価格を支払えばアイスクリームを得ることができるからである.自由市場は価格で財を割り当てるのである.
P.173

自由競争による需給調整が最も効率的で無駄が無いという話。
だから経済学的には、規制は悪であり、自由市場こそが正である。

売り手への課税と買い手への課税は同等である.どちらの場合も,課税によって買い手が支払う価格と売り手が受け取る価格に差額が出る.買い手の価格と売り手の価格の差額は,税が売り手と買い手のどちらに課されるかに関係なく同一である.どちらの場合も,その差額は需要曲線と供給曲線の相対的な位置をシフトさせる.新しい均衡において,売り手と買い手は税を分担して負担する.売り手に対する課税と買い手に対する課税の唯一の違いは,政府にお金を納めるのが誰かという点だけである.
P.188

本書を読んでいて新たな学びだったのはこの税金の話。
ロジック上は実はどっちに課税しても同等で、
課税対象によってシフトするのが需要曲線なのか供給曲線なのかという話に過ぎない。
そして新たに生まれた均衡において、課税対象がどちらであっても、
負担はお互いに分担している!
じゃあその負担の分担の割合はどうなっているのか?考慮すべきはその弾力性。
弾力性が相対的に高いということは、状況が悪化した際にその市場から離れたい度合いと言える。
ゆえに、弾力性が低い方に重く負担させる方針がとられる。

ほとんどの税が死荷重を発生させるのとは異なり,ガソリン税は実際に経済をよりよい状態に導く.ガソリン税によって,交通渋滞が減り,道路はより安全になり,環境汚染が減るからである.では,ガソリン税はどれはどの高さにすべきだろうか.ほとんどのヨーロッパ諸国ではガソリン税アメリカよりもかなり高い.多くの論者はアメリカもガソリン税をもっと重くすべきであると主張している.学術雑誌(.Journα/がEconomic Literature) に掲載された2007年の研究では,自動車運転に関連するさまざまな外部性の大きさについての研究結果を要約している.そこでは,ガソリンへの最適な矯正税は1ガロン(3.7853 リットル)当たり2.1ドルであると結論している.これに対し,アメリカでの実際の税率はわずか40セントにすぎない.ガソリン税から得られる収入は,インセンティブを歪め,死荷重を生む所得税のような税を引き下げるために用いることができる.加えて,自動車メーカーに対して燃費のよい車を生産するように義務づける煩わしい政府規制は不要になるだろう.しかしながら,このアイディアはこれまで政治的には不人気であった.
P.296 - P.297

税に関するこの話も非常に興味深い。
原則として税金は死荷重を生み、非効率を発生させるが、
外部性の大きさによっては、課税することのメリットが生まれる場合がある。
でも、自動車業界、消費者の両方からすごく不評であることは想像に難くない。
でも消費者に対して所得税の引き下げもセットに説明できれば、
少しは聞く耳持ってもらえるかな?
でも、自動車業界はどう説明しても納得しないな。


経済学的な考え方と会計的な考えの違い

経済学者と会計士では費用の測り方が異なるので,利潤の測り方も異なる.経済学者は,企業の経済学上の利潤を,企業の総収入から販売した財・サービスを生産するためのすべての(明示的・潜在的機会費用を差し引いたものとする.会計士は,企業の会計上の利潤を,企業の総収入から企業の明示的費用のみを差し引いたものとする.
P.378

経済学者が考える費用は機会費用、会計士が考えるのは明示的な費用。
意思決定の損得勘定と、集計による損得勘定は違うってことだな。


経済学的な思考

この広告の理論で最も驚くことは,広告の内容が関係ないということである.ケロッグ社は,広告に支出する意思によって,その製品の品質のシグナルを送る.広告の内容は,消費者が広告は高価であると知っている事実に比べれば重要ではない.対照的に,安価な広告は,消費者に品質のシグナルを送るのに有効となりえない.われわれの例では,もし広告によるキャンペーンに300万ドル以下の費用しかかからないのであれば,ポスト社もケロッグ社も広告キャンペーンを用いて新しいシリアルを市場に出すだろう.よいシリアルと平凡なシリアルがどちらも広告されるために,消費者はシリアルが広告されるという事実からは新しいシリアルの品質を推定できない.時が経てば,消費者はそのような安い広告を無視することを学ぶだろう.
P.496

こういうロジックが経済学的思考の面白さ。
実は、支出の大きさがシグナルであり、広告内容は関係ない。
こういう視点の転換が個人的に面白いところ。


選挙にも限界がある

アローは,社会に存在する全個人が,とりうるすべての選択肢A, B, C, …に対し選好を持っていることを仮定した.そのうえで,複数の選択肢から一つの選択肢を選ぶためには,社会は以下の特性を満たす投票の仕組みを持つことが望ましいと仮定した.

ー致性:もし全員がBよりもAを選好するなら,AはBよりもよい.
推移性:もしAがBに勝ち,BがCに勝つなら,AはCよりもよい.
無関係な選択肢からの独立性:選択肢AとBの順位は,第3の選択肢Cが選択可能か否かに影響されない.
独裁者の不在:他の人がどのような選好を持っていようと,自分の選好がつねに優先されるような人物はいない.

これらの特性はすべて,選挙システムが持つべき望ましい特性のようにみえる.しかし,アローは,議論の余地のない形で,これらすべての特性を満たす投票システムは存在しないことを数学的に証明した.この驚くべき結果は,アローの不可能性定理と呼ばれている.
P.684

この話もこの本で初めて知ったけれど、
投票システムには避けられない欠陥が内包されている。
それがすなわち民主主義をやめろと言う話にはならないけれど、
欠陥が明らかな制度を改善するすべはないのだろうか、と
なんだか釈然としない気持ちになるのも確か。


マンキュー経済学 I ミクロ編(第3版)

マンキュー経済学 I ミクロ編(第3版)