二宮清純の文章をちゃんと読むのは初めて。
もともと、スポーツもさして興味がなく・・・
それでも、この本はおもしろかった。
日本人はスポーツにおいて、なぜ負けた、なぜ勝った、の分析がないって話。
スポーツ以外にも通じる、プロとしての考え方の本として面白い。

- 作者: 二宮清純
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2001/03
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 10回
- この商品を含むブログ (11件) を見る
敗者と弱者が混同されがち
日本人は「悲劇」や「歓喜」が大好きで、ややもすると「東芝日曜劇場」の色に紙面も画面も染められてしまう。
極端な話、この国には“一億総ザンゲ”と“一億総カンキ”の二つしかないのである。
敗者に必要以上の同情がかけられる一方で、「敗者」と「弱者」とが混同されがちな社会でもある。
弱者イコール敗者という図式は成立しない。
むしろスポーツの場合には、さまざまな戦術を駆使することで弱者が勝利を手にすることはままあることで、そこにこそゲームの醍醐味があるのだともいえる。
P.18
弱者=敗者とは限らない。負けるべくして負ける。
確かに、判官びいきという言葉があるくらい、
古くは源義経のような、悲劇のヒーローみたいなものを好む特異な文化もあるけれど、
仕方ない、よくがんばった、勝負は時の運、
それだけじゃあいつまでたっても進歩しない。
敗者に同情して「負けも運」で済ませてしまったのでは、これはもう思考停止と言っていい。
敗因の分析を怠り、それを一過性のものとして看過してしまうことは、個々の選手、あるいは競技全体のレベルアップを阻害してしまうことすらままあるのだ。
ゲームが双方にとって同じ条件、同じルールで行われる以上、勝因も、敗因も、確実にゲームの中に存在する。
改めて言う。
敗者に必要なのは慰めではない。
復活のためのチャンスである。
P.19
輪島功一のエピソード
テレビで見る印象とは裏腹にかなりの策士。
わざと体調の悪いふりをして相手を油断させたりとか、かなりの演技派。
こういうエピソードは、まさに勝つべくして勝った感じがするな。
勝ちへのこだわりとか執着の裏返しでもあるのだろう。
彼の演技はそれにとどまらない。
試合になっても、輪島は相手の軽いジャブにわざと大きく顔を歪める。
しかし、足元は乱れない。
利いていないのだ。
またヒット。
大きく顔が歪む。
この繰り返しである。
こうした演技を序盤から繰り返し、彼は相手を自分のペースに引きずり込むことに成功する。
もちろん、要所では確実に自分のパンチをヒットさせながら。
ついに、最終ラウンドで柳をマットに沈め、三たび王座に返り咲いたのである。
P.15
くそまじめだから大成するわけでもない
努力を否定するつもりは無いけど、ゆがんだり間違った努力も往々にしてあるよな、とは思う。
困ったことに、弱いやつほど練習したがるんです。
精一杯やってないと何か言われるんじゃないかと不安なんでしょうね。
だから、ウチの選手には一切、そういう余計なことは考えてくれるなと言いたい。
今の球界を見てください。
サボる勇気を持っている奴の方が大物になっていますよ
P.67
スポーツの実践は権利
運動とかほとんどしないもので、権利という発想がなかった。
権利は活用したほうが良いような気もしてくる・・・
運動、した方がいいことはわかってるのだけど、なかなか習慣化しないんだよな。
一九七八年、パリで開催されたユネスコ(国際連合教育科学文化機関)総会では「スポーツに関する国際憲章」が採択されている。
その第一条にはこうある。
「体育・スポーツの実践は、すべての人にとっての基本的権利である」(仮訳、文部省「文部時報」 一九七九年五月号)
P.164

- 作者: 二宮清純
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2001/03
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 10回
- この商品を含むブログ (11件) を見る