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世界最強の諜報機関? そんなのは映画の中だけの幻想。実態はどこにでもありそうなダメ会社!? ティム・ワイナー/CIA秘録

この手の話は、眉唾ものというか、根拠のない噂レベルの陰謀論
まことしやかに書いてあるだけのものが多い。
まぁそれはそれで楽しかったりはするのだけど、本書はちょっと違う。

ニューヨーク・タイムズの記者が5万点の機密解除文書、
10人の元長官を含む300人以上のインタビューを元に、
すべて実名証言で書いた「CIAの本当の歴史」ってのが本書の売り文句。

アメリカでも評判のようで、全米図書賞を受賞している。

CIA秘録上

CIA秘録上

CIA秘録 下

CIA秘録 下

CIA秘録〈上〉―その誕生から今日まで (文春文庫)

CIA秘録〈上〉―その誕生から今日まで (文春文庫)

CIA秘録〈下〉-その誕生から今日まで (文春文庫)

CIA秘録〈下〉-その誕生から今日まで (文春文庫)

そして、それだけの取材の結果浮かび上がってきたCIAの実態、
それはなんとも不格好かつお粗末な諜報機関の姿だった。

情報が錯綜し、何が真実なのかわからず翻弄される姿は、
私たちが映画などで見る世界の情報を自在に操るなんだかすごい人達の姿とは似ても似つかない。


翻弄されるCIA

ヨーロッパのいたるところで「政治亡命者やかつての諜報要員、元工作員、その他さまざまな大問が諜報の大物専門家に早変わりし、注文に応じて捏造した情報の売り買いを仲介するようになっていた」。
ヘルムスのスパイがカネをかけて情報を買えば買うほど、情報の価値は下がっていった。
「よく考えもしない問題にカネをどんどん注ぎ込む、これ以上の事例は思いつかない」とヘルムスは書いた。
ソ連やその衛星国の情報として流されたものは、有能なうそつきどもが紡ぎ出した偽情報のつぎはぎだった。
ヘルムスは後に、ソ連と東ヨーロッパに関するCIAのファイルに蓄積された情報の少なくとも半分は間違いだった、と認めた。
ベルリンとウィーンにあるヘルムスの事務所は偽情報の製造工場だった。
事務所には事実と作り話を区別できる職員も分析官もいなかった。
偽情報にふりまわされる諜報機関という問題は、その後、アメリカのインテリジェンス(諜報)につねにつきまとう問題となる。
上巻 P.37

とまぁ、こんな感じで、報告される情報の何が真実なのか、
さっぱりわからずに振り回されまくっている。

まぁそれは昔の話で今は素晴らしい組織として建て直されているのだろうと思いきや、
以下の話から割と最近でもまだグダグダらしいことが見て取れる。
まぁ、だからと言って諜報機関を持たないという選択肢はないのだと思うけれど、
CIAが常に信頼された組織ではないということ。

第二次大戦中は「イギリスの優れた諜報システムにわれわれは盲目的に、全幅の信頼を置いて頼るはかなかった」とバンデンバーグはいう。
しかし「これからはアメリカも世界を見る目-対外諜報-を外国政府に物乞いするようなことをしてはならない」。
とはいえ、CIAはいつも白分たちに理解できない国や言語への洞察となると、外国の情報をあてにしてしまう。
バンデンバーグは最後に、アメリカ人スパイの専門的な集団を育成するには、少なくともさらに五年を要するだろう、といって締めくくった。
この警告はそれから半世紀後の一九九七年に、CIAのテネット長官が、ほぼその言葉通りに繰り返すことになる。
しかもテネットは二〇〇四年に辞任する際にも再度、同じことを口にした。
完全なスパイ組織は、いつも五年先の地平線のかなたにある、というわけだ。
上巻 P.45

なかなか満足いく組織にはなれないようだ・・・
まぁ、人材育成も難しそうだし、下手すりゃ二重スパイを送り込まれるし、
人材は頭痛い問題なんだろうなぁ。


唯一うまくいった方法論、それは選挙資金のばら撒き!

まぁでもうまくいったこともある。
それが金をばら撒いて選挙を操作すること。
資本主義 VS 共産主義、あるいは独裁主義にたいして、
民主主義および資本主義の代表として支援する、それがアメリカであり
そのための工作をしたのがCIA。

選挙で金がものをいうのはどこの国でも一緒なんだな。

数百万ドルは、イタリアの政治家やバチカンの政治組織である「カトリック行動」の神父らに配られた。
現金を詰め込んだスーツケースが、四つ星のハスラー・ホテルで手渡された。
「われわれとしてもできればもっと洗練されたやり方でやりたかった」とワイアットは語っている。
「選挙に影響を与えるために黒い袋を渡すなどというのは、あまり惚れ惚れするようなやり方ではなかった」。
しかし効果はあった。
イタリアのキリスト教民主党はまずますの差をつけて勝ち、共産主義者を排除した政権を樹立した。
同党とCIAの間の良好な関係が始まった。
CIAが現金の詰まった袋で選挙や政治家を買収するしきたりが、イタリアやその他の多くの国で繰り返されるようになり、その後二十五年もの間、続くことになった。
上巻 P.51

こうしてアメリカに首根っこ掴まれた政治家が国の中枢に入り込んでいくわけだ。
ちなみに日本もそのばら撒き作戦の成功事例の一つ。

CIAには政治戦争を進めるうえで、並外れた巧みさで使いこなせる武器があった。
それは現ナマだった。
CIAは一九四八年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。
しかし世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった。
上巻 P.177

岸信介はアメリカの支援のもとトップに上り詰めた男。
そして政治資金をばらまく以外に、文化の浸透のために雑誌を創刊していたりするというのは驚いた。

これは言葉の戦争だった。
小さな雑誌やペーパーバックの本、高尚なテーマの会議などをもって戦われる戦争だった。
「私が担当していた文化自由会議の一年間の予算は、おおよそ八十万ドルから九十万ドルだった」とブレイデンはいう。
これには、高級月刊誌『エンカウンター』の創刊に必要な資金も含まれていた。
この雑誌は四万部以上は売れなかったが、一九五〇年代にそれなりの波紋を巻き起こした。
これは、CIAに新しく入ってきた文科系専攻の人間にうける、使命感を刺激する仕事の一つだった。
パリやローマで小さな新聞や出版の仕事をする−−アメリカの諜報員が新米時代に海外で送る暮らしとしては、結構なものだった。
上巻 P.63

新聞や出版の仕事をCIAの職員がやっていたとは!
でもこれなら、ちょっとお気楽そうだな・・・。


中国や朝鮮に対しては失敗続き

北京は後に満州での成果を放送した。
それによると、CIAは二百十二人の外国人工作員を降下させたが、このうち百一人は殺害され、百十一人は捕獲された。
上巻 P.96

スパイというのは捕虜扱いされないらしいね。
しかし、戦争時に諜報機関が偽の情報に踊らされたり、
自らの情報がだだ漏れだったりすると、当然シャレにならない。
でも、そんなシャレにならない状態だったっぽいんだよね、これ読むと。

朝鮮では、CIAはあらゆる面で失敗した。警告を発することにも失敗、分析を提供することにも失敗、そして採用した工作員たちを向こう見ずに展開したことの失敗など。その結果、アメリカ人にもアジアの同盟国の人々にも、何千人という犠牲を出した。
三十年後、アメリカの元軍人は、朝鮮戦争を「忘れられた戦争」と呼んだ。CIAではこの戦争のことを意図的に忘れようとしている。幻のゲリラに武器をつぎ込んだ一億五千二百万ドルの無駄遣いは、会計簿のうえではうまく帳尻を合わせられた。朝鮮戦争時の情報の多くが偽か捏造であった事実は、伏せられたままになった。一体どれくらいの人命が失われたのかという問題も、問われもせず、答えも出されなかった。
上巻 P.97 - P.98

スターリンが死んだ時、CIAでは・・・

「一九四六年からこの方、専門家と称する連中がみんな、スターリンが死んだとき何が起きるとか、われわれが国家としてどう対処すべきだとか、あれこれ言い募っていた。さて、彼は死んだ。みんな政府内部のファイルをひっくり返して、何か計画が作られていたか調べてみたが、骨折り損だった。計画は何もなしだ。彼が死んだ後、どんな変化が生じるかさえ定かには分からない」と噴りをぶちまけた。
上巻 P.112

それまで散々色々調べていたのに、いざとなると何もわからない。
大統領の立場だったらお前らアホか!と憤る気持ちはわかるけど、
このグダグダ感には、お前らCIAとか言ってるけど普通のサラリーマンなんだな、みたいな
親近感も感じてしまう。
なんか非現実的な組織のイメージだったけれど、それは誤解で実に人間的だ。


核戦争の危機はリアルに存在していた

一九五三年八月、ソ連が最初の大量破壊兵器-熱核爆弾と言えるものではなかったが、それにかなり近いもの-の実験を行った際、CIAはまったく手がかりを持たず、予告もできなかった。六週間後、アレン・ダレスがソ連の実験に関して大統領に説明したとき、アイゼンハワーは遅きに失する前にモスクワに全面核攻撃を加えるべきかどうか思案していた。
大統領は「決断するときが迫っているようだと言い、「いまわれわれが直面しなければならない問題は、こちらの持てるすべてを敵に一挙にぶつけるかどうかだ」と語った。この発言は、秘密扱いを解除されたNSCの会議録に残っている。とりわけ、ソ連の保有する核兵器が一発なのか千発なのかアメリカ側に知るすべがないときに、「敵の能力におびえて震えるなどは無意味なことだけに、大統領の問いかけは恐ろしいものだった」。
上巻 P.115

ここでもまったく手がかりを持ってなかった、というのが衝撃。
そしてそれだけ不正確な情報の中で意思決定を迫られる方にしてみれば、
CIAなんていない方がシンプルでいいんじゃないか、と思ったり。
結果的には起こらなかったが、当時検討されていた可能性の中に、核によるモスクワ攻撃があったという事実、
結構人類はスレスレの所で生きていたんだな。
そしてこんなことはこれからもあるのかもしれない。
そう考えると、恐ろしいな。


バカな上司が改革しようとするとこうなる

本当に、CIAも普通の会社なんだな、と思ったエピソードがこれ。

挫折秘密諜報機関としてのCIAの崩壊は、ヘルムスが本部を去り、ジェームズ・シュレジンジャーが着任した日から始まった。シュレジンジャーはCIA長官を十七週間務めた。その間に、この秘密機関から五百人以上の分析官と一千人以上の人員を追い出した。海外勤務中の職員は無署名の暗号電報で解雇を通告された。これに対して、シュレジンジャーは命を狙う匿名の脅迫を受け、自分の警護のために武装警備員を雇うはめになる。
下巻 P.116

親と上司は選べない。
上司は必ずしも優秀とは限らない。
無能にやる気がないとも限らない。
無能でやる気のあるやつ、これが結構厄介。
しかし、本当にこの本はCIAのイメージ崩れるわ。
特に予備知識もない日本人が読んでもそう思うくらいだから、
本国では結構衝撃だったんだろうな・・・。

そして組織が硬直化してくると、採用が平準化していく。
お利口な人たちが集まって、綺麗な組織を志向しだす。
この辺も会社と同じ。ダイバーシティや仕事へのロイヤリティをどう担保するのか。

何年かの問に、CIAは「少しばかり変わった人、常軌を逸した人、スーツとネクタイの似合わない人、協調性に欠ける人を雇う気がますますなくなっていった」とボブ・ゲーツは言った。
「心理テストでも、ほかのテストでもそうだが、われわれがやっているような種類の試験では、才気煥発だったり、途方もない才能と特有の能力があったりするかもしれない人が合格して、CIAに入るのはとても難しい」。
CIAは、文化的近視眼のおかけで世界を読み誤った。
その局員で、中国語、朝鮮語アラビア語ヒンディー語、ウルドウ語ないしペルシャ語-地球上の人口の半分に当たる三十億人が話す諸言語-を読み話せる者は、ほんのわずかしかいなかった。
一度でもアラブのバザールで値切ったり、アフリカの村を歩いたりした者は、ほとんど全くいなかった。
下巻 P.308

そして人は一朝一夕には育たない。
人材戦略を間違うと10年遅れる。
まさにそんな感じのお話。

といった感じで次から次へと等身大のCIAが明らかになっていく。
本書の衝撃を一言で語るならまさにこんな感じ。

何よりもまずアメリカの読者が驚いたのは、小説や映画そしてその他のノンフィクションの書物でも再三描かれてきた「万能のCIA」が、実はまったくの幻想だったことである。
下巻 P.380

万能な組織なんて、どこにもないんだな。

CIA秘録上

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CIA秘録 下

CIA秘録 下

CIA秘録〈上〉―その誕生から今日まで (文春文庫)

CIA秘録〈上〉―その誕生から今日まで (文春文庫)

CIA秘録〈下〉-その誕生から今日まで (文春文庫)

CIA秘録〈下〉-その誕生から今日まで (文春文庫)