著者は財務官僚として、日本の金融危機の現場に立ち会った人物。
ノーベル経済学賞を取ったスティグリッツの代表的著作『新しい金融論』の翻訳者でもある。
- 作者: J・E・スティグリッツ,ブルースグリーンウォルド,ジョセフ・E.スティグリッツ,Joseph E. Stiglitz
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2003/10/31
- メディア: 単行本
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金融は危機の時に本質的な問題が表出するもので、
50年~100年に1度の危機を迎えた時に
どう対処するかというシステムを作っておくことが大切。
1930年代の金融システムから、アメリカの金融史、
会計制度の問題など幅広く俯瞰し、最後はナローバンク構想を紹介、検討している。
金融システムを概観し、日本の金融危機とは何だったのか、を学べる1冊。
- 作者: 内藤純一
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2004/04/10
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金融システムの構造こそが90年代金融危機の真因
著者の問題意識を端的にあらわしたのがこれ。
日本経済は九〇年代以降激しく不安定化したが、その真の原因は、伝統的な経済学が説明するようなマクロの短期的な需要不足や政策運営の失敗などと言うより、もっと根源的なところで起きている構造変化、なかでも金融システムにかかわるそれではないか
P.2
金融の1930年代モデルを崩壊させた、金融のグローバル化、自由化によって、
各国の経済と金融を不安定化させたのではないか。
金融の中心に位置する銀行の信用創造機能には、そもそも大きな不安定要素がある。無から有を作り出すとまでは言わないにしても、銀行は預金者への支払準備をごく少額残すだけで、残りのすべてを貸付に回すことが可能であるため、銀行システム全体としては信用を乗数倍で拡大できる。
P.3
この信用創造こそ、資金効率を高め、平時のメリットの源泉なのだが、
ひとたび危機が起こり、信用収縮が起きると連鎖倒産などの甚大な影響をもたらす。
これは銀行の本質的な脆弱性。
金融システムの問題だという視点が従来の指摘とどう違うのかというと、以下のような違いがある。
経済を安定化させるのは財政と金融の両面にわたるマクロ政策の役割であると長い間考えられてきたが、むしろそれ以上に、金融システムのあり方に深い関係があることを指摘しておかなければならない。
P.35
要するにマクロ政策の問題ってだけじゃないのよ、ということ。
例えば、以下のような指摘。
金融機能の中心である貸出市場が収縮するなかにあっては、日銀が短期の名目金利をゼロ水準まで引き下げようが、銀行に対する買いオペにより量的緩和を実施しようが、効果はほとんど期待できない。
P.32
結局信用収縮を招いている過剰債務の整理、銀行の過小資本の改善がなければ信用供給は回復しない。
金融機関の破綻
金融機関の破綻には2パターンある。
1つは流動性に障害が起きるパターン、もう1つは財務の健全性に欠陥が生じるパターン。
97年の金融危機では、経営が危ないとうわさされた金融機関の前に
預金を引き出そうとする人が列を作る事態に陥った。
これに対して日銀は信用を全力で供給し流動性を担保する局面になったが、
一連の取り組みを円滑に進めるためには、金融機関の財務が健全で
なければいけないという基準を設けた。
となると、日銀からの融資を受ける金融機関は必死に財務の健全性を高めようとするわけだが、
自力でできることは貸し渋りや貸しはがしと呼ばれた信用抑制や信用削減。
これによって健全な貸出先の経営も苦しくなるという負の連鎖につながる。
流動性危機のおそれや信用リスクに意識過敏になった金融機関は、資金取引のリスク・プレミアムを上昇させるだけでなく現金を抱え込み、他の金融機関への資金提供を量的にも厳しく制限してしまった
P.52
つまり、90年代の金融危機から学べることは、いわゆる合成の誤謬といわれる状況がありえるということ。
仮にミクロ的に正しい政策であっても、その置かれた経済情勢によっては、マクロ経済的には大きな失敗を招きかねない場合のあること
P.59
結果、以下のようなシステマティックな負の連鎖へと繋がる危機が生じてしまう。
日本の金融機関破綻とそれがシステム危機に発展する危惧が生じたのは、実は、決済システムにおける取引連鎖に内在するリスクの顕在化などではなく、主に、銀行による信用創造機能を背景にした与信リスクの顕在化によるものであったと言えるだろう。つまり、ある銀行の破綻によって他の銀行の決済が実行できないために他の銀行も破綻するという姿ではなく、ある銀行の破綻によって信用供給が止まることで多くの借り手企業などが破綻し、それらによって別の銀行等も巨額の貸倒損失を被って存立が危うくなるという図式である。
P.435
この辺の話は、まさにシステムのあり方の問題の話。
ちょっとしたボタンの掛け違いで一気にシステム全体が破滅へ向かう危険があることと、
如何にそうならないように連鎖を断ち切るのか、が問題。
ただし、何でもかんでも救います、と受け取られるとモラルハザードを招きかねないし、
そもそも国民の支持を得られるとは思えない。
危機まっただ中での、この辺のさじ加減の難しさは『ポールソン回顧録』や
『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』を読んで強く感じたところでもある。
資産デフレによる問題の拡大
九〇年代前半の企業や金融機関は、ほぼ従来どおりの見方で、地価や株価が反転しさえすれば不良債権も減らせるだろうし、業況も立て直すことができると考え’むしろ債務残高や貸出残高を積み増しながら景況と地価の回復にかけた。しかし、資産価格は下げ止まらず、この期待をついぞ実現できなかっただけでなく、不良債権をかえって増やしてしまった。この資産デフレこそが、企業や銀行のその後の経営に根源的な影響を及ぼし、経済と金融のレジームの転換を強く促すことになった。
P.215
もともと日本の銀行はアメリカの銀行と違い、株を保有できるという違いがある。
これは日本独特の株の持合いなどがあっての話なので単純に株保有の禁止が
必要という話ではないのだが、株価の大幅下落は銀行資本へ直接的なダメージをもたらすので、
信用収縮を引き起こすきっかけになり兼ねない。
また、言われてみれば当たり前なのだが、以下の指摘は面白かった。
企業は生き残りをかけて返済に努力するものの、その結果は設備投資を抑制せざるを得ないために事業の再編や効率性の向上には資金が回らず、長期的には市場競争力を失って淘汰される可能性も少なくないことが明らかとなる。
P.258
債務を返済することに必死になるあまり、本来するべき投資が後に回り、
結果的に市場競争力を失うというのは戦略論的な観点からすると、納得感が高い。
PPM的な視点で考えた時に、金のなる木のキャッシュフローが投資されず、
気がつくと問題児や負け犬ばかりになっているという恐怖。
そして当該企業が破たんしてしまうと、またもや金融機関の資本がやられてしまう。
産業再生 3つの過剰
産業界やマスコミなどは産業再生の必要な根拠として、三つの過剰論を主張した。
すなわち、過剰設備、過剰雇用、そして過剰債務の三つである。(中略)
この三つのうちの二つ、過剰設備と過剰雇用は戦後の景気循環的不況でも一様に観察されたことである。したがって、これは本来、経営の自己責任で解決されるべき問題である。(中略)
過剰設備や過剰雇用は、企業が不況下にあるときの循環的現象なのに対して、過剰債務の状態に陥ることは、企業の存立が根底から揺らぐ経営の一大事を意味する。
P.263
上記のように、過剰債務だけは別次元の問題だと指摘している。
そして、過剰債務問題を考えるとき、日本のメインバンクシステムを
考察する必要がある。
メインバンク制の下では、その貸出形態は個々のプロジェクトごとの収益性ではなく、つまるところ企業全体の純資産と収益力に依存する信用供与の仕組み、つまり、リコースーローン(求償権付き貸出)によって行われ、かつ、その与信はメインバンクを頂点とする複数の金融機関グループによって実施されることにその最大の特徴がある。
P.283
この辺はもう少し勉強しないとちゃんと理解できてないなぁ、と思う。
平成デフレは過剰債務の正常化
平成デフレと呼ばれる経済の収縮現象は、短期的な需要不足や政府・日銀による財政金融政策の運営上の失敗などから生じたというより、バブル崩壊を直接的な契機とするものの、基本的には、継続的な資産デフレにより維持できなくなった巨額の企業債務、つまり、土地をはじめとする戦後の資産インフレおよび資産インフレ期待が崩壊したこと(すなわち土地本位制の崩壊)によって過剰化した債務が市場の調整力によって削減される、正常化の過程として捉えるべきだということである。
P.283
正常化と言われるとある種の必然のような気がしてくるのと、
なにかプラスの側面があるようにも聞こえるのが違和感を感じるが、
なんとなく言わんとすることはわかる。
市場の動きをダイナミックに捉えると、それは過剰債務を
正常化させる動きを志向すると言うことなんだろう。
また、結局何らかの方法で過剰債務を整理すること無しには済まない、ということかもしれない。
短期間に急に整理しようとするとそれは連鎖破綻や、
システム崩壊を招くのだろう。決壊しそうな堤防の水位を慎重に下げていくイメージ。
アメリカの30年代の金融危機との違い
日本の金融機関破綻とそれがシステム危機に発展する危惧が生じたのは、実は、決済システムにおける取引連鎖に内在するリスクの顕在化などではなく、主に、銀行による信用創造機能を背景にした与信リスクの顕在化によるものであったと言えるだろう。つまり、ある銀行の破綻によって他の銀行の決済が実行できないために他の銀行も破綻するという姿ではなく、ある銀行の破綻によって信用供給が止まることで多くの借り手企業などが破綻し、それらによって別の銀行等も巨額の貸倒損失を被って存立が危うくなるという図式である。
P.435
上記説明にあるとおり、アメリカの30年代の金融危機とは、同じ連鎖破綻でも、
破綻に至るプロセスが違う。
それにしても、アメリカの30年代の危機は、対応のまずさもあって連鎖破綻の規模が違う。
三三年二月から三月のほぼ二ヵ月間のうちに、らマネーセンターのニューヨークにおよぶ最終的かつ壊滅的な連鎖破綻が生じた。恐慌である。この一年間だけで約四〇〇〇の銀行が破綻した。
P.344
4000行も銀行がつぶれている!たったの1年で。
まさに将棋倒しのような連鎖破綻。
規模がでかすぎて驚くしかない。。。
そしてこのアメリカの大恐慌に関して、株価の暴落をクライマックスにする著述が多いが、
真のクライマックスは、信用システムの大崩壊。
一九三〇年代のアメリカ大恐慌のクライマックスを、株価大暴落が起きた二九年一〇月の暗黒の木曜日や暗黒の火曜日におく著述が少なくないが、それは真実ではない。アメリカの大恐慌は、三〇年と三一年に続き、三三年三月に起きた、銀行による信用システムの最終的な大崩壊こそがその核心的部分だからである。
P.393
確かに、株価の大暴落というよりも、信用システムの崩壊で
銀行が4000行も潰れた事実の方が衝撃的。
というわけで、金融初心者の自分には難しいところも多々あったけれど、
非常に勉強になったし、無知を知るという意味においても有益だった。
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