この本を読んでふと気づいたのだけど、読了してもいまいちシンギュラリティの意味わかんなかった。
ちゃんと読んでないから?でも別に困らないよ、すげーいい話がたくさん書いてあります。
で、シンギュラリティってなに?っていう話なんだけど、
技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん、英語:Technological Singularity)、またはシンギュラリティ(Singularity)とは、人工知能(人工超知能、汎用人工知能、AGI)の発明が急激な技術の成長を引き起こし、人間文明に計り知れない変化をもたらすという仮説である。
Wikipediaより
ということらしいです。
でもAI時代が来ようが来まいが、さっさと意識しておいたほうがいいことがたくさん書いてあります。
ワーク アズ ライフ
ワーク、ライフバランスみたいなワークとライフの二項対立には意味がない。
ワークはライフの一部なはずで、ワークとライフは不可分。
むしろストレスなくワークとライフが地続きになっていることのほうが大切。
ワークアズライフとして考えるとき、バランスや均衡を求めるものはなんだろうか。「ワークとライフ」の対比で捉えるのではなく、「報酬とストレス」という捉え方のほうが今の働き方を象徴している。働く時間、休み時間という捉え方より、ストレスのかかることとかからないことのバランスのほうが重要だ。
P.33
ストレスを感じるか、感じないかで捉えることのほうが重要かもというお話。
自分が何にストレスを感じ、何に喜びを見出しているのか、
自分の嗜好、志向、思考にどれだけ自覚的でいられるか。
別の言い方としては自分の報酬系を知れ、という言い方でも語られている。
何に喜びを見出すのか。自分が楽しいと思うのはどういったこと、状況なのか。
全てのストレスから開放されることを目指す必要はなくて、
報酬を得るための過程で多少のストレスは避けられないこともある。
ただ、自覚できているかどうかよね。
この感覚ってすごく共感できて、努力とか頑張るとかすぐ言う人たちの限界ってあるんだよね。
その人にとって、それが努力であったり、頑張ったりすることである以上、
同じ行為が楽しい人たちには絶対に敵わない。
だからこそ、努力を努力と思わずにやれる方法だったり、領域を見つけることって
すごく大切だと思うのよね。
好きこそものの上手なれって話よ。ことわざって良いこと言ってるよね。
楽しめないけど努力しなきゃいけないこと、領域に関してはどうすんの?って話に関しては、
習慣化するのが低ストレスへの近道だと思う。
細かく記録して毎日やるを繰り返してやるのが当たり前にするっていうやつ。
習慣化の力も本質的にはそれをすることのストレスの低減だと思ってる。
ただ、不思議なもので、自分が何に喜びを見出すかを自覚していると、
こうしたら、こう考えたら、別に苦にならないな、って自分でわかるようになってくる。
結果的に、こう考えたら楽しめちゃったりするなぁ、ってなってくるのよね。
こうなればしめたもので、結果的にストレスなく、楽しみながら継続できるようになる。
要するに、自分の報酬系を知るということは、自分で自分をハックするっていう感覚に近い。
自分を客観視するメタ自分による自分のコントロールっていう感覚がもてると色々楽だし楽しいと思ってる。
コミュニティは30人が限界
これに関しては、へぇ、そうなんだって感じ。
話題の箕輪編集室は400人規模になっているらしいけど中どうなってるんだろ。
まぁ、全員が主体性を持つ必要もないコミュニティだから
傍観者は傍観者として成立しているのかもしれないけど。
一人一人が責任感を感じられるレベルは、だいたい30人くらいが限度だと言われている。
P.39
自分は自分の道を行く
本書でも補足されているけれど、全員が違う方向に向かって進んでいく、
他の人のことは気にしない、という前提。
同じ方向に向かう競争の中で、他人を気にしないのではない。
ここって結構大きな違い。
もはや進む方向がみな違うのが当たり前なんだよということ。
コモディティ化と向き合い、人類の価値を拡張していく。そうした中では、先ほども述べた「淡々とやること」というのが、すごく重要になる。つまり、相対的な順位争いではなく絶対的な価値、わかりやすく言うと、「自分は自分の道を信じてやらないといけないし、他人は関係ない」ということだ。
それって結構孤独なことかもしれないけれど、孤独との付き合い方を知ることもまた重要なことなんだろうな。
合理性、非合理性
合理性万歳主義がはびこっている気がするけど、合理性だけで人は生きるのではない。
合理性はある目的を達するためとか、特定のフレームの中で価値のあることに過ぎない。
それだけじゃ世界の半分も説明できないと思うんだよね。
よく趣味について考えるのだけど、趣味って何をもって趣味というのかな、ということ。
自分が出した結論は、趣味とは見返りを求めない行為であるということ。
例えば何かの役に立つから、勉強のために本を読むというのは、趣味ではない。
読みたいから、読む。読んだら楽しかった、それで満足、そういうのが趣味。
釣りが好きだから、楽しいから釣る。それは趣味。
それ、なんの役に立つんですか?という質問が意味をなさない世界で成立しているのが趣味。
だって、何かの役に立たせることが目的化した行為は趣味ではないから。
で、落合陽一いわく、合理性を求めていない行動に関しては自覚的にやるべきだ、と。(P.102)
自覚的に、自分の中で合理性を追求することと、問題解決以外の非合理的なことを明確にしておいたほうが、
人生は豊かになる。
これは、もう本当にそうだと思う。
趣味性という非合理的な無駄が人生を豊かにするし、その集積が気がつくとあなたをユニークな存在にしている。